2006年3ネタ噺 −その3


気がつくと雨の芝公園で深夜、4時間ほど気絶して土だらけだった。




 <<解説>>

 花壇に倒れ込んで、レンガに顔と腕時計を打ち付けて気絶。
腕時計は10時を指して止まっていたが、公園の時計は2時

 手に血はついておらず、傷に手をやったふうでもない。
ただYシャツに、雨に薄まった血が、アスファルトの模様そのままに残る。
うめき声を上げるまもなく、気絶したらしい。


 ええと、新橋に探偵事務所を借りていた時期でね、
時計も SWISS MILITARY の、つまり軍用時計をその半年前に買いました

 「軍用時計が割れた」という話を聞いて、
時計屋さんは、実物を見るまで「偽物だろう」と思いこんでいた様子ですし。

 実物を見て、「よく無事だったね・・・」と。
つまり、この時計は、岡澤の生命線を守った幸運の時計とも言えるわけだ。


 酔って、心配した友人が浜松町からタクシーに乗せてくれたが、
金がないのでメーターが回り始めたところで降りたら芝公園だったという話。



 深夜2時、電車もないので歩いてゆくと、
内幸町の信号付近で血と泥だらけのぼくを見て男の人が「大丈夫ですか?」と一言。
「大丈夫です」と笑って答え、そのまま霞ヶ関へ。

 どこかで立小便をしようと考え、見回すと人はいない。
酔った勢いで立小便をしたのが国会議事堂の正門だったという俗説があるが、
主流派の学説ではこれを否定している。

麹町を抜け四ッ谷に着くと始発が動き出しそうなので、少し待ってから改札に入る。


 久我山の家で着替え、一休みして大学の保健センターに行き、歯を治してもらう。
治療後、歯科の先生に事情を話すと大騒ぎになり、保健センター中を回される。
「そういうときは救急車を呼べ!」と内科医に怒られ、精神科医にも叱られる。

 あげく、本郷にある東大病院に搬送されることになり、
「怪我人に本郷まで行かせるのかあ?」と思っていると、車を呼んであるという。

「救急車で搬送かよ」と思っていると、タクシーチケットを渡される。
ああ、東京大学は懐が深い。





 さて、4年後にも似たようなことをやった。
2006年は納涼さるびあ丸下船直後、2010年は小笠原丸下船翌日の竹芝桟橋

 共通点は両方とも、貧困のどん底の状態で、
気絶していたとはいえ、芝公園での野宿なわけで、2010年もその日は野宿した。

 2010年は、本郷から、日比谷公園通過で渋谷まで。
深夜の放浪と野宿(駒場東大前で仮眠)、東大病院に行ったことも4年前と同じ。



 W杯の盛り上がり直後というのも、同じ。
4年前はブラジル戦の徹夜明け、初対面の安曇屋の皆さんとカラオケで・・・・・・

 懐かしいなあ、2006年。東大カードでi-Pod。
2010年は東大卒業生カードの再発行待ちで金がなく、父島と母島で任意同行を・・・。

 結論 : 成長していない。