<<解説>>
彼女はいつも、丁寧語ではなく尊敬語で話しかけてきた。
「私とは2つ3つしか違わないのに、落ち着いてお話になりますよね」
というので、ぼくは、
「やめてよ。そんなに違わないよ。せいぜい違っても1つだよ」と答えていた。
当時23歳のぼくにとって、
給仕の仕事が板についている彼女が、2つも3つも年下であるはずがなかった。
「でも私と同級生の男の子たちなんて・・・・・・」なんて言われる度に、
いい気になって、
「慣れだよ、慣れ。実際の年なんてそんなに離れていないよ」などと答えていた。
何となく、外に誘い出した方が良さそうな雰囲気になったある日、
「私、12年前に引っ越して、その時、まだ14だったんですよ」と言われた。
・・・・・・ごめんなさい。12年前、ぼくはまだ11歳でした。
今さらになって真実を打ち明ける勇気は、どこにもありませんでした。
「下北沢で行く店は東南アジア系の店が多い」と書いた。
沖縄は、ぼくにとって特別な場所なのだが、
「公文国際学園の中学時代の調理実習で、東南アジア系の料理を作った記憶」
うん。ふと思い出したのだ。
公文学園研究に書いた、「国際理解教育」の一環として、東南アジアの料理を・・・・・・
なるほど。世の中、偶然なんてない。
有名どころの東南アジア料理は、ほとんど中学時代に作ったのだ。
そういや、高校時代の家庭科の記憶。
宿題で作ってきた「一日の献立表」を、自習時間に女の先生が採点していた。
先生が、突然高い声を挙げて、笑い出す。
クラス一同 「? ? ?」
O先生 「岡澤君、お酒はダメですよ〜」
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