証拠・証言の類
亜友ちゃん関連
・亜友ママの証言
「どうして岡澤くんが謹慎処分にならなきゃいけなかったのかしらね?」
−問題はそれです。
「だって、岡澤くん、うちの娘に特に悪いことはしていないでしょう?」
−まあ、おそらく
「それが本当ならむしろ、悪いのはうちの娘じゃないですか! ああ、頭痛い」
−頭は痛いです
「娘は、学校で怖い目にあったようですが、何故かあなたのことは責めないんです」
−どうも有り難うございます。
「むしろ親の目には、あなたに感謝しているようにも見えます」
−なるほど・・・
「卒業から3年も経つのに、(娘は)岡澤くんの名前を聞いて涙ぐむんですよ」
−乙女の涙は高い
以上、2004年7月17日に、公文国際学園校長室の中で、
石黒進校長、遠山弘詞副校長の立ち会いの下で聞いた亜友ママの証言です。
なお、当時亜友が岡澤に手渡した手紙の類も現存しています。
遠山先生関連
・四期将棋部員(兼数学部)の証言
「俺の将棋部の顧問、遠山っていうんだけど、生徒の恋愛相談するらしいぜ」
−1996年、四期生入学時の話です。
・四期某男子生徒の証言
「遠山先生に相談したら、『むしろ、嫌われてるんじゃないか?』と言われたんだ」
−1998年、六期生入学時の話です。
・三期将棋部員(兼数学部)の証言
「弘詞(=遠山先生)の恋愛相談、ああ、もう将棋部じゃ有名」
−だそうです。
「岡ポン(=岡澤)の話? 確かに将棋部じゃ、何だか最近、弘詞は岡ポンの話をよくする」
−うーむ、名誉毀損です(笑)
「そういや弘詞、この前岡ポンの名前を聞いてクスクス笑って、『最近、ちょっとな』とニヤニヤした」
−ちょっと・・・? 何だよ?
「百人一首部の女の子が岡ポンのことを弘詞に相談? ああ、十分ありうる。弘詞、そういうの好きだもん」
−ほおー。
「だって弘詞、数学オリンピックの結果、ぼくの合格より岡ポンの不合格の話を聞きたがっていたよ」
−そういえば、そんなことありましたね。
「大丈夫、僕が保証する。その百人一首部の女の子と弘詞は裏で繋がっている」
−遠山先生、そんな人だったんだ。
・状況証拠1
数学オリンピックの合格通知の封筒を、岡澤と、数学部先輩(兼将棋部)の松本が二人で開ける。
岡澤は不合格。松本は、将棋部顧問の遠山先生に自分の合格報告をする。
遠山先生は、松本の合格よりも岡澤の不合格の話に興味を示す。
嫌になった岡澤は、図書館に亜友を探しにいくが、いない。図書館にいた西川さんの証言。
「呼び出し。今さっき遠山先生から」
その晩、亜友ちゃんは電話の口で岡澤の不合格を知っていた。
翌日、恋愛初心者の亜友は、岡澤に対し、大人の指示としか思えない分不相応な慰め方をした。
結論:遠山先生と亜友は、裏で繋がっている。
・状況証拠2
岡澤は、遠山先生に頼んで亜友の本心を聞いてもらったのだが、なかなか分からない。
四期生の間に「岡澤はストーカーだ」という噂が広まってしまったことに焦った岡澤は、
「仲直りのきっかけが欲しいだけなんだと思います。金で、話つきませんか?」
というメモを、遠山先生の机に置いておく。
翌朝、岡澤のもとに亜友との共通の友人の岡本がやってきて、
岡本「亜友が財布落として困っているらしいよ」
岡澤「どうしてそんなこと、ぼくに言うんだ?」
岡本「亜友が岡澤に言ってこいと言った」
金銭の受け渡しを推測させるメモも残っています。
結論:岡澤の「金で話をつけよう」メモを亜友に見せたのは、遠山先生。
・状況証拠3
2000年5月14日(八期生入学年)、岡澤は亜友に警察に突き出される。
翌朝、特に早く遠山先生を呼び出し、前日の警察騒ぎを報告する。
そこで、二人の姿を見て追ってきた四期数学部員の内村が、警察騒ぎを知ってしまう。
遠山「どうして亜友はそんなことをしたんだ?」
岡澤「4月に、亜友は神経症かもしれないから余計な口出し止めて下さいと、警告したじゃないですか」
遠山「亜友が、神経症の発作で交番に駆け込んだとでも言うのか?」
岡澤「でも、そうすれば話はつじつまが合うじゃないですか!」
遠山「お前たち、やっぱり変だ。二度と俺のところに相談に来るな!」
そう言って、遠山先生は岡澤を残して立ち去る。
一部始終について、四期数学部員の内村は証人として立ち会っていた。
結論:ストーカー騒ぎは遠山先生の責任によるところが大きい。
ストーカー騒ぎ(騒ぎは八期生入学後)全般
・当時の記録
ストーカー騒動回顧録
−当時の状況が詳細に書かれた貴重な文書。ストーカー騒動後半年ほどして成立。
四期・五期・六期生ら数十名に回覧され、学校幹部も事実関係を認めざるを得なかった約30頁の冊子。
(文書は現存していますが、生徒のプライバシーに関わる記述が多いため、掲載しません)
四期生高2−C組学級日誌
−2000年7月、岡澤の日誌を最後に学級日誌が廃止されたのは有名な話。
学園の対応関連
・ストーカー騒動回顧録周辺の文書より
「イジメなんてね、良くあることですよ!」
−謹慎処分当日。岡澤の説明を笑いのめす横須賀先生の言葉。
「ストーカーだろうと何だろうとね、君は勉強さえしていればいいの」
−上に続く言葉。横須賀先生の本音と思われる。
「岡澤君は、理系の生徒だと思っていたのですが、なかなか良い文章を書きますねえ」
−自殺したいと書き残した遺書もどきの文章を前にしての、石曾根校長(当時)の言葉。
「精神科に連れて行かれた方が宜しいんじゃないですか?」
−上と同じ文章を前にしての、親に対する横須賀先生の言葉。
・ストーカー騒動回顧録が流出したいきさつ
「岡澤はストーカーだ」などという噂が事実無根であることを教師に説明しようとしたが、
上記の言葉を読んでも分かるように、横須賀先生の対応は話にもならなかった。
元はといえば修学旅行先のオーストラリアで身を投げるつもりの岡澤が書いた3通の遺書が、
どうにも女子寮生たちに受け入れられ、「増刷して欲しい」との要求まで出され、
何だか学校幹部の手に渡り、岡澤の無実が証明されてしまったというもの。
−ストーカー騒動回顧録の文章を評価され、真貝先生からは文学に誘われた。
決戦前夜
−その後の対応についてはすでに個人の責任を越えており、
本来なら警察が踏み込んでもおかしくない内容ではあるが、
それに関しては冷静にスルーして岡澤が知りうる内容を述べる。
・横須賀先生言動録
−岡澤の無実が判明して以降、横須賀先生は「岡澤ちゃん」と呼ぶようになった。
「岡澤ちゃん。あんな悪い女の子(=亜友のこと)、退学にしちゃおうよ」
−この頃、亜友の退学に反対していたのは岡澤だけです。
「岡澤ちゃん、わあ偉い偉い。肩揉んであげる」(そう言って実際に肩を揉んだ)
−岡澤が数学オリンピック、高得点で予選通過したときの言葉。
「あの女の子(=亜友)、今もって岡澤ちゃんの悪口言うんだよ。信じられないよね」
−亜友が会議室に監禁・脅迫された翌日の、横須賀先生の言葉。
「もうあんな女の子(=亜友)退学、退学しかないよ」
−上に続く言葉。
−横須賀先生の態度に、ついにカツンときた岡澤は、
2001年2月半ば(九期生入学直前)頃より、横須賀先生に食ってかかり大喧嘩となる。
石曾根校長退任(九期入学時)までの流れ
−まず、亜友ママからの苦情が、横須賀先生経由で連日のように岡澤家に寄せられる
岡澤・母は、電話恐怖症ノイローゼのようになってしまう。
・亜友ママ証言と岡澤・母証言の食い違い
「PTA学年委員長の大嶋さん(=亜友ママ)が代表して、
代祐(=岡澤)の他の生徒に対する問題ある行動について、今日も学校に抗議の電話がきたそうよ」
−岡澤・母の証言。そういう事情でぼくは叱られ、母は電話ノイローゼに。
「私は学校に抗議の電話なんかしませんよ。
横須賀先生が電話で、あなた(=岡澤)の行動が他の生徒さんに迷惑で困っていると言われたから、
『それなら叱ってやって下さい』とPTA学年委員長として言ったまでです。叱られたでしょ。
でも当時、何故か娘はあなたのことを庇うんですよ。『岡澤は悪くない』って」
−亜友ママの証言。
結論:PTAから抗議がきたというのは、要するに横須賀先生の自作自演。
−ぼくと亜友の主張は共通して、「岡澤は悪くない」ですよね。
四期生卒業(十期入学)までの流れ
−石曾根校長が退任し、小山校長(前校長)が着任する。
・小山校長の言葉
「君は私に、助けてもらいたいのかね?」
−着任翌日、ぼくと交わした言葉です。
・当時の記録
横須賀先生に宛てた、数十枚の抗議状
−毎日の昼休み、職員室で怒鳴り合う材料にしていました。
ただし証人はいません
−4期の受験に迷惑がかかることを恐れ、独断で横須賀先生と喧嘩しました。
・横須賀先生、負けを認める(9期生入学後の9月)
岡澤「ぼくの、謹慎処分。あれは先生が意図的に仕組んだものだ。そしてぼくらは、死にかけた。
それを殺人未遂か何かと思いこんで、隠蔽工作を働いたんですね?」
横須「そうだ」
岡澤「すると、ぼくの立場を不利にしようと、亜友を脅迫したんですね?」
横須「悪かった」
岡澤「責めはしません。先生も仕事でやったことでしょうから。
ところで、その後もぼくが自殺するかもしれないこと、知っていました?」
横須「お前の自殺が、ずっと心配だった」
岡澤「それでもやめなかった。上からの命令ですか?」
横須「・・・・・・」
岡澤「余計なことを聞きました。
ぼくも、先生が体を壊すまで追いつめるなんて、やりすぎました。すいませんでした」
横須「こちらこそ、申し訳なかった」
岡澤「最後にお願いです。校長に聞かれたときも、全部真相を話して下さい」
・石黒校長による回想
「横須賀先生は、退職されるときも君の身のことを心配していたし、
『岡澤にしてしまったことは償いきれない』と言っていらっしゃったよ」
・岡澤の報告を受けた小山校長(九期入学後の10月当時)の反応。
「なるほど。学校が隠蔽工作ね。これでようやく君の主張が理解できたよ。
でもね、君。横須賀先生がそんなことする人には見えないけどね。まあ、聞いておくよ」
−「なるほど」、の言葉と同時に小山校長は大きく柏手を打ちました・・・
部下の隠蔽工作に校長が納得するなよ。
2週間後、岡澤が校長室のドアを開けると、小山校長が顔面蒼白で硬直していた。
「そのことは今、先生方と会議中だ」
−着任当時のあの余裕はどこへ行きましたか?
さらに2週間後、
「岡澤君。君は数学も得意だし、明るい未来が待っているじゃないか。ね、ね。
こんなことは早く忘れて、君なら東大だってどこだって行けるじゃないか、ね?」
−校長の力をもってしても、どうにもならないようです。
その翌日、
「卒業証書が欲しいのなら、もう学校に来ないで欲しい」(誰の発言でしょう?)
−「脅迫ですか?」と聞いたら、「教育だ」と答えられました。
さらに1年半後(11期入学後)、小山校長は岡澤の顔を見て、走って逃げていきました。
−その時、校長室では会議の真っ最中だった気がしますが。
四期生卒業後の流れ
岡澤、大学2年次(12期生入学後)、石黒校長の手を借りて事故の原因を探ります。
−石黒校長が快く協力してくれた背景には次の事情もあると思います。
石黒校長は大の東京大学嫌い(その理由はここに書きません)で、化学の先生です。
東大生の岡澤が「化学の単位を落として留年の危機にある」話をしたら上機嫌でした。
なお、化学の単位を落とし留年の危機にあったのは事実です。
石黒校長はぼくと一緒に、大嶋千玲元PTA学年委員長の話を聞いていたのですが、
大嶋夫人の話を聞いてようやく事故の重大さに気づかれたようです。
−小山校長からの連絡不足が原因と思われます。
永地「理事長の代理として、私が話し合いに加わる。岡澤君、久しぶりだね」
−意外な人物(=常務)の登場でした。
永地「大阪の学校法人本部に、勝手に郵便を送ってはいけない。学園の代表は私だ!」
−単に転送の手間がかかるだけなのに、やたら怒っていました。
察するところ、理事長には事故を知られたくないようです。
永地「こちらだって、法律の専門家に話を聞いてきた・・・・・・」
−言葉が続かなかったあたり、良くないことを言われたようです。
石黒「こんなことが外に知られたら、学園の経営が揺らぐ」
−当然です。
永地「君のお母さんを精神科に連れていって、診断書を学校に送ってきなさい」
−問題を母にすり替えたようです。
永地「君には、以降学園の敷地内への立ち入りを禁ずる。不法侵入で警察を呼ぶよ」
−やり方が強引です。
13期生入学後
−永地先生と石曾根先生が岡澤の実家に押しかけてきました。
石曾「5年前の騒ぎがこんなことになっていたなんて、私の耳には入っていなかった。申し訳ない」
−だから、学校内部のコミュニケーション不足ですって。
−半年後
石曾「もう、5年前の話だ。なかったことにして欲しい」
−虫が良すぎます。
14期生入学、そして今に至る