「1980年代に、公文式数学P教材の微分方程式を解く幼児が出現した」
  
というのは公文国際学園、綿貫祥英先生の話。 
1期卒業生として現役で東京大学理科T類に入学した、大河原先輩のことです。
  
公文国際学園中等部を卒業するまでに、数学最終教材を4回終了したとのこと。 
大河原先輩は、1998年国際数学オリンピック台湾大会に、 
日本代表選手として参加して入賞しています。
  
小学校入学前に微分方程式というのも、強ち嘘とは言い切れません。
 
  
日本公文教育研究会の事務局への取材。 
そのときに頂いた、「寺子屋グローバリゼーション」という本の中の話。
  
「最高の参考書は、教科書の答えが載っている虎の巻だ」という極端な思想。 
これは、故公文公会長の考え方のようです。
  
事実、1990年代半ばまで、J教材以降の学習者には解答書が配布されていました。 
だから極端な話、根気さえあれば幼児でも微分方程式は可能です。
  
大河原先輩の場合、その後の活躍から考えて、 
小学校入学前でも微分積分の公式くらい暗記していたのじゃないかと思います。
 
  
毎年夏に、各地のプリンスホテルのフロアを貸し切って、 
「公文全国進度上位者のつどい(通称:進上懇)」が開かれました。 
解答を見ようと何だろうと、微分積分を解く小学生は天才だという発想です。 
彼らを集めて、その天才たる理由を解明しようという集会です。
  
彼らは故公文公会長の前で、微分積分を解いてみせます。 
さすがに会長の前で解答を丸写しはできないので、みんな丸暗記してきます。 
この集会には、確かマスコミもやってきました。 
天才小学生の大量発生に、日本中が熱狂したわけです。
 
  
この「公文全国進度上位者のつどい」は、1995年頃に廃止されました。 
理由は単純で、 
「解答を丸暗記、丸写しする小学生が天才であるはずはない」と、 
冷静に考えれば非常に単純な事実に、公文教育研究会が気づいたからです。
  
実はそれまでも、天才小学生たちのその後の伸び悩みは指摘されていました。 
「十で神童、十五で天才、二十歳すぎたらただの人」は故公文公会長の名言。 
どうして天才児が二十歳すぎてただの人に戻ってしまうのか? 
「それは今の日本の教育が悪い!」というのが公文公会長の考えです。
 
  
冷静に反論すると、 
「解答書を与えて育てた天才児から、解答書を抜いたらただの人でしょう?」です。 
問題はこれほど単純ではなくて、天才児本人にとっては大事件です。 
それまで「天才」扱いされていたのが、急に「凡人」扱いになるのですから。
  
人生、一気につまらなくなり、運命を呪い、天につばを吐く。 
彼らがニートやひきこもりになっても、ぼくは責めませんよ。 
誰か調査してくれないかなあ。「公文式とニートの相関関係」
 
  
この文章のテーマは公文式批判ではなく、ニート救済でもありません。 
ただ、読者の興味をひきつけるには十分の内容だと思い、 
プロローグとしてここに書きました。
  
 
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