天才は育てるものではなく、育つものです。
故公文公会長は、そこまでして天才を育てたかったのでしょうか。
だから、公文式の褒める教育は危ない、とぼくは思います。
入学当初の公文国際学園の1期生や2期生なんて、
「思いつきで、すぐに自分勝手な行動をする」人たちばかりでした。
だから、集団教育に馴染まなかったのです。
「一生に一度でいいから、『天才』と呼ばれる人と出会ってみたい」
『天才』という言葉の持つ重みは、そういうものだと思います。
深い断崖絶壁。
ここに突き落として、はい上がってきた人は天才。たぶんそうでしょう。
なら、あなたはこの谷底に子どもを突き落とすか?
故意で突き落とすのは、単なる犯罪です。
天才はえてして自信過剰だと言いますが、
それだけの絶壁をはい上がってきたことに対する自尊心は強いでしょう。
「かわいい子には旅をさせよ」と言いますし、
ときにはわざと突き放し、子どもの実力に賭けることも大切でしょう。
そういう意味では、無意味な虐待も教育として成立します。
公文式って、この断崖絶壁に相当するんじゃないかと思うんです。
J教材以降は、解答書という道具を使っても構わないから、断崖を上り切れ!
褒めて褒めて褒めまくって、子どもに断崖を上らせろ!
ある意味では虐待です。
またある意味では、最高の教育です。
他人と比較することなく、自分が上ってきた絶壁に誇りを持ちます。
だからこそ公文国際学園の1、2期生は自信に満ちあふれていましたし、
やることなすこと自分勝手で、傍若無人と言われたわけです。
ただ、天才とはひとえに自分勝手で傍若無人なものだとも聞きます。
この公文式学習法の是非を議論するつもりはありませんが、
この前衛的な学習法は日本の母親に大きな誤解を植え付けたのも事実です。
本来「一生に一度でいいから、『天才』と呼ばれる人と出会ってみたい」はずの天才。
その価値を安売りし、日本のお茶の間に普及させ、
「自分の子どもにも何かしらの才能があるに違いない」という幻想を生み出した。
そして、耐えきれないほどの重荷を子どもに背負わせ、絶壁に突き落とす。
ニートや幼児虐待は、その副産物とも言えます。
公文式学習がニートや幼児虐待を生み出したとはいいません。
また、ニートや幼児虐待の原因がすべて公文式にあるとも思いません。
むしろ公文式学習に対する誤解が、ニートや幼児虐待を生み出したようなものです。
公文教育研究会に責任をとれとは言いません。
ただし、この事態は重く受け止めてください。
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