「責任者は誰だ?」
  
風が吹けば桶屋が儲かる話ではないですが、 
映画の配役を間違えたら学校が倒産しそうです。
 
  
何とも奇妙な話です。 
たかが生徒の痴話ゲンカなのに、要らぬ心配をした先生たちが隠蔽工作に走り、 
完全に裏目に出て学校が倒産します。
 
  
あまりにも奇妙な話なので、先に種明かしをしておきますね。 
ぼくは、公文教育研究会の強い推薦で公文国際学園に入学していて、 
公文公派の先生たちから神童扱いを受けていました。
  
反公文公派の横須賀先生がパーソナリティに問題あったというか、 
公文公派を追いやるため、ぼくを血祭りにあげたというだけのようです。
  
それが痴話ゲンカとどう関連があるかというと、 
ぼくと女の子の痴話ゲンカに対し、横須賀先生が言いがかりをつけたわけです。 
つまり、教師の派閥争いが罪なき2人の生徒を巻き込んだわけです。
  
それで、何故か学校をあげての隠蔽工作が始まりますが、 
ぼくの目には「生徒の痴話ゲンカを学校ぐるみで隠蔽している」としか見えない。 
だから奇妙なんです。
 
  
2001年に石曽根先生が校長を退職しています。 
ぼくが見る限り、石曽根先生は隠蔽工作に反対し、 
そのために校長の座を追われた感じがします。
  
2001年4月、石曽根校長(当時)退任の挨拶。最後に引用した言葉。 
「最後に、ラインホールド・ニーヴァーの『祈りの言葉』を引用します。 
 『変えることができるものを変える力と、 
  変えることができないものを見守る忍耐力と、 
  変えることができるものとできないものを見分ける知恵を、 
  我に与えよ』」
 
  
石曽根先生の真意はこうでしょう。 
「被害者生徒たちの心はいつか癒される。 
 隠蔽工作に踏み切った学校の方針は、もう変えられない。 
 学校の方針に反対すれば君の将来が危ない。 
 私を憎んで、忘れてください」
 
  
生徒の痴話ゲンカに隠蔽工作を働く人たちの気持ちが分かりません。 
4期生から9期生が集まる中での石曽根先生の挨拶。 
その言葉をリアルタイムで脳内変換した生徒なんて、どこにいるでしょうか?
  
ぼく自身、当時はまさか学校ぐるみで隠蔽工作をしているとは思いませんでした。 
生徒同士の痴話ゲンカ、隠蔽する必要がないじゃないですか?
  
でも、学校が隠蔽工作に踏み切っていたというのも事実です。
  
時の4期生学年主任の横須賀先生が例の痴話ゲンカの女生徒を捕まえ、 
会議室に監禁して脅迫した。 
たかが痴話ゲンカにしては対応が不自然すぎます。 
痴話ゲンカをした当事者男子生徒の方はぼくですから、事情は知っています。
  
ちなみに、脅迫事件は次のようにして発覚しました。 
12月3日、彼女が不自然な表情をしているのを見たぼくが、誰かにイジメられたと推測。 
同日晩、横須賀先生と新堀先生が彼女を呼び出したと判明。 
12月4日、新堀先生を問いつめる。
  
岡澤「それって、脅迫っていうんじゃないですか?」 
新堀「失礼なことを言わないでくれ!」 
(数秒の間) 
新堀「確かに彼女の様子は不自然だったが・・・」 
(数秒の間) 
新堀「上からの命令じゃない以上、あれは脅迫じゃない!」
  
「上からの命令なら生徒を脅迫するのか?」という突っ込みはやめましょう。 
逆に上からの命令だったならなおさらのこと、 
下っ端の担任、新堀先生には事情の説明がないと考えるのが大人です。
  
つまり、痴話ゲンカの隠蔽工作は、上からの命令だったと考えるべきですね。 
こう考えたぼくは、ものすごく不自然に感じたのです。 
だって、たかが痴話ゲンカに学校ぐるみの隠蔽工作は不自然でしょう。
 
  
ぼくは彼女に手紙を書きます。
  
「君が先生たちの前でぼくを裏切った話は聞いた。 
 ぼくは先生たちが、君を脅迫したのだと思っている。 
 おそらく向こうは、学校ぐるみで悪さをしている。 
 職員室の中に、不穏な動きがある。 
 追及すれば、ぼくも君も退学になるかもしれない。 
 ぼくには、君を守りきる自信がない。 
 ぼくを裏切ってかまわないから、とにかく逃げてくれ。」
 
  
冷静に考えてもよく分かりません。
 
  
 
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