Don't tell a lie.



小さな嘘を隠すために大きな嘘をつき、その嘘を隠すためにさらに大きな嘘をつく。

亜友ちゃんのストーカー騒ぎから、もう6年半が経過します。
つまり、「嘘に嘘を積み重ねていっても、6年くらいなら頑張れる」ということです。


どうにも一昨年あたりまでは、教師の大部分が学校幹部の発表を信じていたようです。
「嘘に嘘を積み重ねても、5年くらいなら見ている人の目を欺ける」わけです。


教師が派閥争いに生徒を利用し、罪のない生徒に言いがかりをつけて停学処分を出した。

「ある教師が、罪のない別の教師に言いがかりをつけ、そいつを解雇させた」
大人の世界では、よくある話です。
しかし、そういう大人の事情に生徒を巻き込もうと、普通、考えますか?
そういう、横須賀先生の考え方が、ちょっと奇妙なんです。


遠山先生のことも書きましたが、まあ、あの恋愛相談は、百歩譲って許容範囲内でしょう。
ただ、亜友ちゃんとぼくの関係という子どもの事情に、教師が巻き込まれて良いのか?
教師が恋愛相談を受け付ける、という発想自体が奇妙です。


そして亜友ちゃん。
追いつめられた気持ちは何となく理解できなくもないですが、
ぼくとの2人の問題に警察や高等部の生徒全体を巻き込む、というのも奇妙です。


ぼく自身、学校でのトラブルに、あらゆる種類の法律家を巻き込む発想も奇妙なのかもしれません。


人格障害というと差別的な語感を含むので、ボーダーラインと表現します。厳密には違う言葉です。
どうにも、人口比で数パーセントのオーダーで、そういうボーダーラインちゃんが存在するようです。

数パーセント、という言い方ではピンときませんが、クラスに1人くらいいる、というと想像できます。


2006年末に起きた短大生バラバラ殺人。
逮捕された容疑者について、「どこのクラスにも1人くらいいる変わり者」という表現がなされています。
医学的に厳密なことを言うわけにもいきませんが、
やはり「クラスに1人くらい」=「人口比で数パーセント」のボーダーラインちゃんがいるようですね。


ぼくなりの結論を言います。

一風変わった教育法で日本中の注目を集めた故公文公、公文教育研究会会長。
「解答を丸写ししてもいいから天才児を育てよう」という発想がかなりおかしいです。
そもそもからして、公文国際学園の創設者からしてボーダーラインちゃんじゃないですか?

確かに公文公会長は天才だったように思いますが、
天才とか聖人とかいう人の方がむしろ、風変わりなボーダーラインちゃんじゃないですか?


その公文公が作った学校で起きた事故、というのなら何となく納得がいきます。


毎年、160人、4クラスの生徒を入学させる公文国際学園。
推定1クラスに1人くらい存在するボーダーラインちゃん。
ことに男と女の場合、「ボーダーライン・カップル」という言葉が存在するくらい、
やたら相性のいいボーダーラインちゃんタイプがいるようです。

冷静に考えて、ぼくと亜友ちゃんってそういうカップルだったんじゃないんですか?
本来クラスに1人くらいいるボーダーラインちゃんは、
クラス替えによって出席番号が10番と11番となり強制的に出会わされ、
客観的に考えて異常なまでの痴話ゲンカをした、というのなら納得がいきます。

先の短大生バラバラ殺人容疑者とぼくとの違い。
ぼくは、どんなに追いつめられた状況だったにもかかわらず、亜友を殺さなかったこと。
ぼくが一歩踏み出すか踏みとどまるかの紙一重の差。


ボーダーラインちゃんは、どうも遺伝的要因が強いです。
ということは、ぼくの親も亜友の親もボーダーラインちゃん的な存在である可能性が高く、
2人の痴話ゲンカにブレーキをかけられるのは、教師しかいないわけです。

そして運悪くもその立場(=学年主任)にいた横須賀先生もボーダーラインちゃん。
・・・と、仮定すれば、このストーカー騒動もあまり違和感がありません。
ことに横須賀先生は全国的に有名な進路指導家。いわゆる「天才とか聖人」です。
その横須賀先生がボーダーラインちゃんだったとしても、不思議はありません。


つまり、私立の中高一貫校という特殊な条件によってボーダーラインちゃんが集合してしまい、
誰ひとりとしてブレーキをかけることができなかった。話は単純です。


6年間ブレーキがかからなかった今、どうなったか。
2006年3月の教師退職劇について、ぼくなりの見解を述べます。

2005年4月、とうとう言い逃れができなくなった公文国際学園。
2006年7月の「にちゃんねる煽り」も、学園にとっては当然想定の範囲内です。
そうなったとき、教師は一丸となって隠蔽工作に加担する必要があります。

「岡澤の言い分は正論だが、奴に味方をする教師は全員解雇する!」
踏み絵です。おそらく、2005年6月頃の話じゃないでしょうか。

新堀先生などは当時のぼくの担任だったこともありますし、
正義感の強く優秀な3人の先生方が学園に辞表をたたきつけたと考えるべきでしょう。


いろんな意味で、ボーダーラインな学校です。