公文公、負の遺産



80年代早期教育ブームが残したもの。

これは本当の意味での公文公の遺産とも言えますが、
公文国際学園です。


もとは、公文式早期教育で育った天才児たちに、
さらなる翼を与える目的で作った学校。

皮肉にもその学校に集まった生徒たちを見て、
公文式早期教育の持つ、教育としての意義は大きくなかったと知ります。


・・・そのおかげで、公文式早期教育ブームにブレーキがかかったわけです。
1993年のことです。

それでも、公文式人口に対する公文式天才児の割合は、
一般人口に対する天才の割合と大して変わらないため、
公文国際学園の名前を売るような生徒を揃えることが可能でした。

80年代早期教育が残した、負ではない部分の遺産と言えます。


ところが、公文国際学園1期生の卒業とほぼ同時期に、
文科省は公文教育研究会に行政指導をします。

「国内での積極的な活動は謹んでほしい」


おそらくですけど、文科省は公文国際学園を泳がせていたと思います。
公文国際学園を国際理解教育推進校(?)に指定したのも、
公文学園1期生の卒業時期ですし、
公文教育研究会に行政指導をいれるためのデータ収集の一環と思えます。
公文式早期教育で育った子どもの、追跡調査にはもってこいの学校ですから。

案の定、公文学園1期生の進学先は80年代の妄想を否定するレベルの結果であり、
公文学園1期生卒業直後に文科省は公文教育研究会に踏み込み、「行政指導」


先ほど、公文国際学園の名前を売るような生徒を揃えると書きましたが、
公文教育研究会は公文学園1期生卒業期まで、
公文式学習者の中でも超一流の優秀児に電話をかけ、入学を斡旋していました。

公文学園1期生卒業直後に公文教育研究会は行政指導を受け、
公文教育研究会は、公文学園8期生以降、超一流の優秀児の斡旋を止めた。
一方で1期生卒業以降、入学者の平均偏差値は上がった。

これが公文国際学園近年の、
「全体の大学のレベルは上がったが、東大合格者は減った」現象の理由。


文科省が公文学園を泳がせて公文式学習者の追跡調査をした、
そのために公文国際学園を国際理解教育の指定校に選んだというのはお見事。
さすが東大の卒業生とは思うが、
現役の東大4年生(しかも数学科、官僚なら技官)に暴かれるのはNG。

あんまり税金無駄遣いしないで下さいね。