新大陸の徴税人が仮面を奪われるまで
1
森の中に神殿を見つけたとき、主は、再びそれまでの記憶を喪失されていた。
神殿の周りにはネズミを捕るためのネコがたくさんいた。主はネコたちに、神殿を守り続けるよう命じた。
神殿の中から、主と同じような格好をした初老の男が出てきた。
初老の男は、主に、今日の天気はどのようであるか答えるように言った。
主は、空を見上げていわれた。「本日は雲一つない良い天気が続くであろう」と。
初老の男は、主を激しく怒鳴りつけた。
「雲を本当に理解しているのならば、空など見上げなくとも雲の形を答えられるであろう」と。
主は、言われた。
「もしかして貴男は、神が遣わされた精霊ではないのか」と。
初老の男は答えた。「私は、ただの数学者である」と。
主は、初老の男が神に遣わされた精霊であることを確信して、神に捧げるためのオリーブの油を注いだ。
2
主は、聞かれた。
「何故、森の中に神殿があるのか。このネコたちは何か」と。
初老の数学者のなりをした精霊は答えた。
「この神殿は、神が隠された秘密を読み解こうとして、神の怒りに触れた者たちを祀っている。
このネコたちは、ネズミが増えるのを防ぐためである。神殿を守っているものである」
精霊は続けた。
「この神殿が森にあるのは、徴税人が隠した秘密を読み解いて、徴税人の怒りに触れたからである」
主は言われた。
「私がここにいるのは、漁師ヨセフが隠した秘密を読み解いて、ヨセフの怒りに触れたからである」
漁師ヨセフとは、エバの父親のことである。
主は聞かれた。
「1つしか入れていないものを、2つ取り出すことは可能か」と。
精霊は答えた。
「ゆっくりしていかれよ。神は1つの世界を作り、昼と夜の2つを取り出された」
3
主が南関東のアララト山を訪れたとき、漁師ヨセフの妻サラと会った。
サラは、エバの母親である。
サラは言った。「私の夫は奇跡を起こした。私の腹に1つしか入れていないものを、2つ取り出した」
主は、サラに言われた。「それは奇跡ではない。2つの腹に入れたものが、2つ出てきただけだ」
サラは、腹を立てて言った。
「貴男も奇跡を起こす。エバの腹に1つしか入れていないものを、2つ取り出そうとした」
主は、サラをたしなめて言われた。「私はまだエバの腹に、1つも入れていない。女神に誓ったことである」
サラは、眼を丸くして言った。「私はまだ、そのような福音を受けていない」
その晩、エバがサラに福音をもたらした。
「主は、アララト山の雷から私を守るために、私を木の穴ぼこに隠し、そして取り出したのだ」と。
サラは主とエバの起こした奇跡に気を失い、眼を覚ましたときは精霊たちに囲まれていた。
4
主は、女神の教えを守り、円周率10000桁を口に含まれた。
主が円周率10000桁を言えるようになると、主を祝福して双子の精霊レアとラケルが現れた。
主は言われた。
「これは神が私に与えた試練である」と。
主は、続けて言われた。「私には双子の片方が昼に見え、片方が夜に見える」と。
人々は、主の言葉をあざけり笑った。
昼のラケルは、主を祝福していたが、夜のレアは、主を祝福していなかった。
昼のラケルは女神の降臨を信じたが、夜のレアは「女神の降臨を信じない」と言った。
5
主は森を抜け、鴨の泳ぐ大きな堀のある所まで来られた。
そこでは、たくさんの政治家たちが頭を抱え、目の前に15桁の数字を並べていた。
「このままでは16桁目の数字が必要になります、主よ」一人が言った。
主は、答えて言われた。「この計算式を作ったのは誰か」と。
「新大陸の徴税人でございます。しかしその男は、数学という病に冒されております。
数学という病に冒された者が作った計算式は、数学という病に冒された者しか解けません。
我々には、数学という病が恐ろしいのです」
その時、時計工の妹ミリアムが進み出て、言った。
「数学という病に冒された者は自殺します。これは、女神が定められたことです」
6
昼の娘ラケルは、主の頭に香油を注ごうとして言った。
「主よ。貴男は、数学の森にうずもれるお方ではない。私のためにお働き下さい」と。
主は、ラケルの香油を拒否して、言われた。
「私に働けと言ったのは誰か。女神か。それとも、新大陸の徴税人か」
「いいえ、主の奇跡を信じる私めにございます。主よ」 ラケルは答えた。
「私は奇跡を起こさない」 主も、お答えになった。
「私はまだ、1つしか入れていないものを2つ取り出す奇跡を解決していない。
私は、奇跡を起こさない」
辱めを受けたと感じたラケルは、主に言った。 「この病人めが!」
7
昼の娘ラケルと、夜の娘レアは女神から知らせを受けた。
悪魔が主を誘惑していると。主は、悪魔が隠した秘密を暴こうとして悪魔を怒らせたと。
ラケルは主のために、樽一杯のオリーブの油を鏡の上に注いだ。
女神の知らせを信じないレアは、ラケルがオリーブの油を鏡に注いだことを怒った。
主は、ラケルがオリーブの油を注いだ鏡のおかげで、悪魔の誘惑に勝った。
しかしその鏡にオリーブの油を注いだのがラケルであると知って、主は心を痛めた。
樽一杯のオリーブの油は、ラケルが使うには高価すぎたからである。
ラケルは、女神に騙されたと主を罵った。
主はラケルに感謝していたので、どんな罵りでも受けると言って、ラケルの言葉を待った。
ラケルは言った。「主は、数学という病に冒されている」と。
8
数学という病に冒された主のもとには、次々と悪魔がやってきた。
「悪魔が隠した秘密を暴こうとした数学者は、悪魔に命を奪われる」と悪魔たちは言った。
珈琲売りのラハブが、精霊たちの命を受け主のもとにやってきた。
「これを煎じてお飲み下さい。
数学という病に冒された者は、森の神殿でも毎日午後3時にこれを飲みます」
主は、珈琲を注ぐ入れ物を取り出して、言った。
「それならば、これに珈琲を入れよう。この器は女神が、珈琲のために揚げ菓子を曲げて作られたのだ」
9
ついに主は、悪魔の襲撃を受けた。
女神は、鶏が3度鳴く前に主が眼を覚まさなければ、主が復活することはないと言った。
珈琲売りのラハブも、初老の数学者も主の周りに集まって言った。
「主は、復活するだろうか」と。
その時、女神は祝福の雨を降らされた。
雨に打たれた主は息を吹き返し、ブドウ酒のような血に汚れた自らの服を見た。
珈琲売りのラハブが、「主よ、これでお目覚め下さい」と珈琲を差し出した。
初老の数学者は言った。
「これが女神に選ばれし数学者なら、匂いだけで器の中のものを言えよう」
主は、見事に豆の名も当てられた。
初老の数学者は言った。「貴男は、確かに数学という病に冒されている。神殿の中に入る資格がある」
10
神殿の前に立つ主に、再び女神が降り立った。主は、言われた。
「女神よ。私には、エバが言ったバルトロマイの奇跡の謎が、解けたのでございます」
女神は言われた。
「ならば、ここに明かしてみよ」
主は言われた。 「エバは、バルトロマイを娘と見間違えたのではありますまいか」
女神は、主を祝福して言われた。
「その通りだ。しかし、エバを責めてはならない。お前を苦しめたのは、秘密を黙っていた私だからだ」
主は、女神の言葉を人々に伝えられた。
「救いの女神は、搾取の女神である。女神は、そういう面白いことを、簡単にお許しになる」
人々は、その福音を祝福した。
11
主が神殿の中に入ると、
ミリアムの兄である時計工が作った、ゼンマイで動く猫と十字架が置いてあった。
「この十字架は何に使うものか。この猫は何か」と、主は問われた。
初老の数学者のなりをした精霊は答えた。
「円周率を打ち込めば、人が入れるようになる。しかし命の惜しい者は、普通は入らない。
その猫は、十字架に入った者が試練に失敗すれば、食い殺すよう命じられておる」
「私が入ろう」と、主は言われた。
「救いの女神は、搾取の女神である。女神は、そういう面白いことを、簡単にお許しになる」
エバもイルザも、主のために祈った。
しかしどの娘も、主を止めようとはしなかった。救いの女神は、搾取の女神だからである。
十字架の中に入られた主を、「だから数学者は病気!」と罵る娘はなかった。
12
主は、十字架に入られる前に、それに名前を付けられていた。
十字架に掛けられた名札には、「小川三四郎探偵事務所」と書かれていたので、人々は驚いた。
「なぜ神殿の中でそのような名前を書かれたのか」
主が掲げた謎は、誰も解けなかった。
ラケルは、「主は病気だからだ」としか言わず、ラハブは頬を薄紅に染めるだけだった。
13
珈琲売りのラハブは、主の御心に気がついた。
「主は、1つしか入れていないものは1つしか出てこないことを示すために、十字架に入られたのだ」
人々は、主の御心に恐れおののいた。そして、言った。
「女神は、主を殺されたりはしない。女神は、そういう面白いことを簡単にお許しになると、主は言われた」
「これは十字架ではない。主は、女神の腹の中に入られたつもりなのだ」
「主は、女神の庇護を受けながら、徴税人たちが隠した秘密を暴こうとされているのだ」
神殿を守る猫たちが顔を洗い始めた。
たちまち空は雲に覆われ、人々は、主の入った十字架に落雷するのではないかと、口々に心配した。