−新「公文国際学園社会福祉委員会のひみつ」−


  この本は、岡澤代祐にケンカを売っているのですか?




新「公文式算数のひみつ」1993・くもん出版



 第1章「幼児でも方程式が解けるひみつ」に登場する達弥は、岡澤の親友である。

 岡山県岡山市出身の、「5歳で方程式が解けるようになった」松田達弥は2人といるまい。
公文国際学園5期生、男子寮の達弥である。岡澤の右腕とも言える、あの達弥である。

 1999年度の男子寮環境委員長・副委員長を務めたあの岡澤+達弥の名コンビ、
2000年度の社会福祉委員長・副委員長を務めたあの岡澤+達弥の名コンビは有名だった。


 松田達弥♂プロフィール

1997年に公文国際学園入学。五期生。
2歳2ヶ月の時に公文式を始める。
2歳7ヶ月の時には平仮名の読み書きをマスター。
5歳1ヶ月の時には1元1次方程式が解けるようになる。


 確か達弥は、公文国際学園入学当時には英数国独仏の、5教科全てを終了している。


 だが、決して極端な話ではない。四期生にも5教科全て終了した超天才児は何人かいる。
岡澤の知る限りでは、S.N.さんとか、S.Y.あたりは5教科終了経験者である。

 以上、3名とも、公文学園での成績はあまり良くなかった。
特に達弥は、高校1年生を終了する頃に留年の危機を目の前に、公文国際学園を中退した。
岡澤は、達弥のお別れパーティを開いて、奴を見送った。

 あの達弥が、この本では超天才児扱いされ、30ページも特集されている。




「達弥は、無駄に天才扱いされたせいで、中学・高校生活が滅茶苦茶になった」と主張する。


 入学当初から劣等感の塊だった達弥は、不良グループと付き合い始める。
断りきれなかった達弥は、不良グループと一緒に喫煙したところ見つかり、グループ全員が謹慎処分になる。
謹慎処分後、男子寮の規則で、不良グループは社会福祉活動を命じられた。

 不良グループは、当時中学3年の男子寮環境委員会副委員長、岡澤代祐などと一緒に仕事をする。
そんなある秋の日、不良グループから買出しを頼まれた達弥は、深夜2時に男子寮を抜け出し買い物に行く。
ちょうど表現祭前で、深夜の食堂にいた岡澤は達弥を呼び止める。岡澤は、達弥の深夜外出を黙認する。

 そのまま、達弥は補導される。早朝の5時頃に、達弥はパトカーで公文国際学園に強制送還。
次に万引き等で捕まって、徐々に非行が目立つようになるのが典型的なパターンである。



 食堂で作業を続けていた岡澤は、早朝5時に帰寮した達弥から事情を聞く。

「お前は、不良グループに頼まれて買出しにいったんだろ。寮スタッフに正直に言えよ」
「無理だよ。そんなこと言ったら、俺、明日から怖くて部屋に入れなくなる」
「しょうがねえなあ。なら、七時になったら俺と一緒に寮事務室に行こう。話をつけてやる」


という話になり、実際に岡澤が寮スタッフを説得し、達弥は反省文一本で事なきを得る。


 岡澤の助けを借りた達弥は、不良グループから「弱虫」扱いをされる。
しかし、岡澤は達弥との約束を守り、不良グループのことは寮スタッフに喋らなかった。
達弥は、「岡澤の犬」呼ばわりされるも、イジメの標的にまではされなかった。


 ところが、岡澤が亜友とストーカー騒ぎに巻き込まれるなり話がこじれた。
達弥は、「ストーカーの手下」と、不良グループから標的にされてしまったわけだ。
そこで、達弥は、「岡ポンのためになら俺がこの手で亜友を殺す」と言いはじめる。


「岡ポンは、俺よりもあの女をとるのか?」という話になったのも事実。
が、岡澤と達弥が同性愛の関係にあったという事実は存在しない。


 結果、要するに岡澤は達弥よりも亜友をとる決断をして、
達弥に対して泣く泣く、「もうやめよう。お前、岡山に帰れ」と言った記録も残っている。

 結果、岡澤に切り捨てられた達弥は、岡山に帰った。
二人は、その後も一度だけ会った。そのときも、別に仲が悪かったということはない。
が、その日、暴走族を見て目を輝かせている16歳の達弥が、ものすごく心配だった。






 岡澤が達弥に、「もうやめよう。お前、岡山へ帰れ」と言った周辺の出来事は悪夢だ。
寮で不良グループに付け狙われることを恐れた達弥は、部屋にひきこもってしまった。

「寂しくて死にそうだよ。岡ポン」
と言った15歳の達弥は、1000円のハムスターが欲しいと言い出した。

「分かった。ぼくはそうそう、寮には遊びに行けない」
そう言って岡澤は、1000円を出して、そのハムスターを買ってやった。

 その晩、深夜1時ころ、岡澤の携帯に達弥から電話があった。
「ハムスターが、鳴き始めたんだ。怖いよ。不良グループににらまれるよ」
「ハムスター1匹のために、お前の気が狂ったんじゃ割に合わない。そのハムスターを、殺せ!」
「俺にはできないよ。そんなこと」
「いや、少なくとも今のぼくには何もできない。そのハムスターを、殺せ!」
「分かった。また、電話する」

 そんな気の狂いそうな電話を十回くらい繰り返した上で、達弥は、ハムスターを窓から捨てた。


 しかも、達弥は、一週間後にまた同じ過ちを繰り返した。
「達弥。寂しいのは分かるが、これ以上ハムスターを殺すな!」
「でも俺は、学校から帰って、不良グループが怖くて、引きこもっているんだ」

 しかし、達弥よりも亜友を優先した岡澤は、達弥を切り捨てた。
泣きながら、「もうやめよう。お前、岡山へ帰れ」という話の展開になっていった。






 ぼくは、達弥の人生を狂わせたのは公文式のような気がしてならない。
で、それだけならまだしも、
「幼児でも方程式が解けるひみつ」と題して達弥を特集するのは我慢ならない。

   岡山で達弥を発見し次第、訴訟となっても文句はなかろう。宣戦布告と解釈した。