「百聞は一見にしかず」と言うが、
自分が Bar で待ち伏せを受けてはじめて、親父の人生が理解できた。
由美 「どうして代ちゃんの頭がこんなにタバコ臭いの?」
由浩 「・・・・・・」
由美 「代ちゃん。お留守番の間、パパと何していたの?」
代祐 「パパ。赤と白の積み木してた」
由浩 「・・・麻雀!」
由浩 「俺は何も悪くないのに」
信介 「いや、兄貴が悪いと思うよ」
27歳のぼくは、Bar で待ち伏せされたが、
22歳の親父は、たぶん雀荘で待ち伏せされたと思うのである。
−それぞれの専門分野で−
工業化学科出身の親父は、当時就職難で、
父親の妹の紹介で、「NECに勤めていた」という情報だけは残っている。
ぼくを誘拐しようとした野村の社員だが、
この、親父の父親の妹の旦那さんというのは、野村證券の元重役である。
この高井さんの経歴との前後関係は不明だが、
野村の重役に言うことを聞かせるために、甥っ子を誘拐した線は濃厚。
これは、初代岡澤家の曾祖父母健在期の話。
「高井さん。すまんが孫の命と将来がかかっているんだ」という可能性は高い。
高祖父は、西山兼吉という銀行家である。
その息子の豊三郎が岡澤家に養子入りし、山越寿ゑを嫁にとった。
だから、諏訪神家族の岡澤家とは本来血縁はないが、
江戸中期は信州の川中島に住所のあった、岡澤家の名前を名乗っている。
そういう縁で、岡澤家には信州出身の嫁が多く、
曾祖母の山越寿ゑは、長野県上田市に逃げ延びた旗本岩手梶五郎の末娘。
「やけに詳しいな」
「曾祖父の孫の中には、そういうのが好きな大学教授がいるだけだ」
つまり、野村證券の元重役の高井の大叔父は、
銀行家の家系から嫁をとったというわけで、考えてみれば自然な話である。
豊三郎曾祖父の長女も株屋に嫁に行ったが、
こちらの御主人は、既に若くして東京湾に沈まれたという噂である。
野村と裏社会の癒着が、いつからかは知らない。
ただ、「すべての発端は岡澤家」ほどには、世界が狭くないことを祈る。
<<岡澤家 標的リスト>>
1 大伯父 (1960年頃か)
2 大叔父 (真相不明)
3 親父 (1980年頃)
4 祖父 (1987年頃)
5 ぼく (2011年)
なるほど、だからぼくが5歳のころ、
「パパの左腕の傷は銃創だ」なんて、誰も教えてくれなかったんだ。
それでも、岡澤家は頭が良いので、
6歳の息子は父親の傷を、「ピストル以外に考えられない」と結論した。
しかし、逆に言うとぼくが誘拐されても、
何年か組織の手伝いをさせられた後、せいぜい銃創1つで済んだわけか。
−銃創よりも、小脳出血の傷の方が重い−
木を隠すのは森の中、子を隠すのは腹の中。
いつ誰に誘拐されるか分からないから、妻の数でカバーしろと。
祖父の兄は、こういう世界が嫌で、
高等師範学校から物理教師になり、その長男は東京大学理学部数学科。
「9歳の息子に微分幾何を教えてやって欲しい」
そんな、トンデモない理由で、
ぼくは9歳の頃に、この人から第1基本量と第2基本量の意味を教わった。
ちなみに現在、この人は、
ぼくの家から歩いて20分程度のところに住んでいて、1男1女がいる。
ぼくとは苗字が同じだから、
絶対に騒ぎに巻き込んでしまいます。ゴメンなさい。
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