亜友ちゃんのリボン(*)


岡澤 「もしかして、魔法使いだったりする?」

岡澤 「魔法のリボンで変身して、この学園に入学したんじゃないかと思って」


(*)・・・・・・アニメの登場人物が、公然わいせつ罪で捕まりました。


□1 2つの記憶

 授業中に後ろを振り向く、中学2年の女子生徒。

仮説1「生まれつき知的障害がある」 → 学園に入学できた理由が説明できない。

仮説2「入学後に事故で頭を打った」 → 言語障害などの後遺症が確認できない。

仮説3「悪い魔女にかけられた魔法」 → 魔女の存在が生物学的に確認されない。

論理学的に可能性のあるのは、実は「仮説3」だけである。


 実際のところ仮説3が正解である。
魔女狩りの歴史に倣って、精神疾患を「悪い魔女の魔法」と表現すれば良い。

 岡澤の思考回路は、コミカルに展開する。
現実世界に魔女がいるなら、不自然さからして亜友が魔法使いでも不思議はない。

 その結論が、「姫ちゃんのリボン」の影響だという自覚はあったのだ。





 亜友は、岡澤の机の上にゲームを広げた。
授業中に今月号の『りぼん』の付録だという双六を、岡澤の机の上に広げた。

 この記憶は正確である。
停まったマスの科白を言わされた岡澤は、非常に恥ずかしい思いをした。

 二人は、机を並べて読書していたのだが、
亜友が持ってきてくれた少女漫画の付録を、岡澤が断り切れず相手したのである。







□2 話の展開

 思い出した展開は、以下の通りである。
中学二年の岡澤は亜友=魔法使い説を、亜友本人に説明したわけだ。



 岡澤は、亜友が5歳の女の子と期待して、
5歳なら「姫ちゃんのリボン」を知るはずないと思って、平気で話した

 そうしたら、13歳の亜友は良く知っており、
「なんで知っているの?」「だって私、毎月『りぼん』を読んでいるんだよ」

 亜友の実年齢は、確かに13歳のようだった。
思い出し始めると、この時に亜友と喋ったことをいろいろと思い出せるのだ。



 ・ 亜友は、漫画版よりアニメ版が好きだった。

 ・ 単行本も、アニメを録画したビデオも、全部揃えた。

 ・ でも、ビデオも単行本も、中学受験の時に全部処分されてしまった



何だか、ボコ太のごとく亜友のことを覚えているなあ。




 岡澤は、当時3歳の妹の雑誌で読んだだけで、
「あるなら読みたいけど」と言った岡澤に、亜友が自分の所有物を教えてくれた

 それで、何かを思いついたらしい亜友が、
「だったら今度、良いものを持ってきてあげるよ」と、授業中に付録の双六を広げた。



 これが、授業中の『りぼん』騒ぎの真相。
自分から亜友を魔法使い扱いした岡澤は、授業中の双六の相手を断れなかった。









□3 亜友を庇った理由

 高校1年の4月に再会した亜友。
亜友=魔法使い説に従えば、亜友はいっそう強力な魔法の影響を受けていた。

 岡澤が亜友と仲良くなった理由。
同じ学年の同級生の中で、魔法使いでも不思議ない女の子は亜友だけだったから。



 高校1年の末に、亜友は社長令嬢と判明。
魔法使いに比べると、社長令嬢というのは正直言って格落ちした感じがした。

 数学オリンピックでは、日本代表候補。
それでも亜友の魔法を疑っていたのだから、男って、夢を追いかけるものだと。



 ところが、亜友はストーカー騒ぎを起こす。
空き缶回収「岡澤はストーカー」に変身してしまったのである。

 魔法使い級の論理展開だった。
亜友が、魔法のリボンを使って学校規模の騒ぎを起こしたように思えた。

 数学の道を諦める決意をして、
瞬間、「やっぱり、アイツ、魔法使いだったのか」と、考えたような・・・・・・

 岡澤が亜友を庇って処分を受けた理由は、
姫ちゃんの魔法を隠すために、小林大地君が教師に嘘を吐いたようなもの。



 金目当てで亜友を助けたわけじゃないのだ。
だが魔法のリボンも、25歳が胸を張って主張する言い訳ではないような。

 もっとも、数学オリンピック級の知能は、
亜友の宣戦布告から3週間、魔法の正体を「性と家族の問題による神経症」と。

 高校2年の岡澤の判断は、大地君と同じで、
「君が神経症だってことは、他の人に言いふらしたりしないよ」と、なったわけだ。

 だから、亜友を庇って処分を受けた理由は、
姫ちゃんの魔法を隠すために、小林大地君が教師に嘘を吐いたようなもの。



 あの漫画は、リアルに再現できるわけだ











□4 漫画喫茶で初デート

 確かに「姫ちゃんのリボン」は共通の話題だった。
だが先に書いたが、岡澤は「りぼん」を読んだことも、アニメ版も見たこともなかった。

 だから亜友は、岡澤を漫画喫茶に連れていった。
学校帰りに初めて二人で寄り道したのは、買い物の類ではなく漫画喫茶だった。

 今になって冷静に思い返してみると、
亜友は真っ先に、二人の思い出の「姫ちゃんのリボン」を岡澤に読ませたかった?




 もうすぐ28歳を前に、気付いたことがある。
たぶん当時中学2年の亜友の方も、岡澤に小林大地を重ねていたのだろう

 亜友を魔法使いかも知れないと考えた岡澤だが、
亜友母子は、数学の授業を聞かなくても怒られない岡澤を、亜友と同じ知的障碍と思っていた。

 ところが、中間試験数学の、岡澤の衝撃的な満点答案に、
「あの娘は、それは興奮して帰ってきましたよ」という亜友・母の述懐通り、正体がバレた。


 これまで、この逸話に疑問を感じたことはなかったが、
中学2年当時の亜友が、岡澤の満点答案に興奮したのは、それほど自明な流れではない

 −当時の亜友の知能では、岡澤の頭の良さに興奮するのは難しい−

 <<推理>>


亜友9歳 「私も大地みたいに、学校サボって旅行に行きたいなあ」
亜友・母 「大地君は、学校サボっても試験で良い点が取れるから、良いの。亜友はダメ!」

亜友13歳 「岡澤は数学の授業中に私と一緒に遊んでいるんだよ。どうして満点なの?」
同級生H 「岡澤はね、亜友と一緒に遊んでいても良い点が取れるから、先生は怒らないんだよ


 つまり当時の亜友は、岡澤の頭の良さに興奮したのではなく、
「お母さん。私の後ろに座っていた岡澤はリアル小林大地だった!」流れで興奮しただけじゃないの?





 ところが岡澤は、「姫ちゃんのリボン」に従わなかった。
中学3年の亜友が有坂君にリボンを取られそうになった時に、大地は助けに来なかったのだ。

 ひょっとすると亜友は、漫画喫茶で、
「姫ちゃんのピンチに大地は助けに来い」と、言いたかったのかもしれない

 高校2〜3年の亜友のピンチの時は、
岡澤の実年齢が上がったこともあり、小林大地よりも実力は上だったと思っている。

 ビジュアル的にはね、勝てないけど。





 一方で、岡澤がこの漫画を忘れていたかというと、
高校2年になる頃、ふと亜友に赤いリボンを付けたくなったのを思い出した

 それで、「何でだろう」と考えていて、
「『姫ちゃんのリボン』の影響だ」と思い出した、痛い思い出が残っている。









□5 変身の秘密

 例えば、フロイト先生に赤いリボンの秘密を聞くと、
真面目に「赤は月経血を、リボンは女性器を意味します」とか言われそうである。

 すると変身の秘密が解読できる。
端的には第二次性徴、「もっと素敵な私になあれ」が本質なのじゃないだろうか。

 亜友の赤いリボン売春疑惑。
亜友は、岡澤の浮気より、むしろ自分を一人前の女に扱わないことに激怒した。



 亜友と結びつく少女漫画としては、
水沢めぐみ先生の「姫ちゃんのリボン」と、吉住渉先生の「ミントな僕ら」

 「ミントな僕ら」は、舞台が公文学園。
中学生の男女のドタバタが、身近なものに思えてしょうがないだけである。



 今回、ここに加筆することにした理由は、
ニコニコ動画で、アニメ版の総集編を見て、原作との違いが分かったから

 中学2年の亜友は、確かアニメ派だった。
ぼくが探した当時のYoutubeの動画だと、原作との違いが良く分かる部分がない。

 そして、見る側にも心の余裕が出てきた。
政治家と追いかけっこしている状態で、「懐かしい」という感想は出てこない。





 確かに、亜友と知り合った当初、
「アイツら、付き合っているの?」という好奇の目が、漫画の描写と同じ

 当時、岡澤君ファンクラブは無かったが、
数学オリンピック予選に通過した頃から、男女問わず信奉者が出るようになった。

 それで、日比野さん(仮名)が現れて、
拗ねた姫ちゃん(亜友)が有坂君(仮名)に騙され、リボンを一度奪われてしまった。

 週刊誌のカメラマン事件は、言うなれば、
「ストーカー騒ぎが学校にバレて退学の危機に陥る」現実と、確かに繋がる。



 そして、ニコニコ動画特有の事情だが、
「岡澤がロリコンにしか見えねえ」というコメントも、実際にあったような気が

 相手は、1.5倍に拡大した5歳児だ。
大学数学の専門書を読む岡澤が、5歳児並みの亜友と遊んでいたら、ロリコンねえ。



 岡澤と亜友版のラストは、未定なのだが、
原作ともアニメとも離れ、「事実は小説よりも奇なり」の路線を突っ走っている

 現実の展開を、「姫ちゃんのリボン」に戻すと、
エリカ様と姫ちゃんは、実は異母兄弟で、だから顔が良く似ていた流れになる

 大地が一番先に「何だ、王様の隠し子か」と指摘し、
「あんな奴を魔法の国に入れてたまるか。塩まいとけ、塩」と王様が激怒する。

 大地は、「実は俺も、魔法が使えるんですよ」と、
「パラレルパラレル、もっと素敵な日本になあれ」で衆院解散、政権交代が実現する。



 この展開が、現実に起きているわけなのだから、
「愉快な国だな」と思うと同時に、「水沢めぐみに勝った」という感じである

 まだ、魔法の国の王様には勝てない。
原作にしろアニメにしろ、良く似た二人の顔の秘密まで暴いた脚本は、目の敵にされた。






□6 現実の考察

 初めてアニメを見て感じたことで、
「小林大地、少々頭が良すぎないか」とは、共感してもらえると思う

 具体的に、感じたことを言うと、
「大地、中学3年にもなれば、数学オリンピックの日本代表狙える頭だよな」

 思考過程について感じたことが、
中学1年のくせに、高校1年の頃のぼくと同程度以上の思考回路をしていると。

 一方で、学校を休んで旅行に行く。
そのまま大人になったら、「だめんず・うぉ〜か〜」で叩かれそうな気が・・・・・・



 文科省は、「IQ150」を認めなそうだが、
正規化された IQ とは、単に標準偏差が15となるような正規分布らしい

 だったら、IQ160 は、ただの4σ範囲。
そもそも IQ160 の定義が、約3万人に1人の知能の持ち主を差す言葉だ。

 すると、日本でも毎年30人程度生まれる。
この 30 人は、普通に授業に退屈して、金田一君や燈馬君のような高校生活。

 こういう人間が姫ちゃんに出会えば、
実写版「姫ちゃんのリボン」が展開しても、まったく不思議はないだろう。



 ふと、昔話を思い出し、確証を得る。
岡澤の周囲の人を見る限り、1000〜3000人に1人、その手の人がいる

 このアニメに沿えば、「準」小林大地。
周囲に魔法使いがいなかったのか、魔法使いに手を出す自信がなかったのか。

 逆に言うと、IQ160クラスの男の場合、
彼の知的好奇心を満たす魔法使いの絶対数が、この国には不足しているのだ。

 すると彼は「数学」の魔法に取り憑かれ、
周囲で困っている魔法使いには見て見ぬ振りをして、東大数学科に進学する。



 端的に、超一流の心理学的能力者は、
東大の心理学科ではなく、数学科に進学するから、魔法が使えないのか

 なお、動物行動学の結論を加えると、
この国には魔法使いの絶対数が少ないのでなく、余計な女が相対的に多いのだ

 小学5年の岡澤も、数学者志望だったが、
「女遊びに必要なことは全て数学の授業中に覚えた」最初のエピソードなわけで。







 次に、変身ができる女の子だが、
変身の余地のある女の子、という方向で読めば意外にすぐ見つかる

 「有り得ない」と言うかも知れないが、
10代の頃の岡澤の観察だと、20〜50人に1人は変身フラグが立っている。

 境界性人格障害の割合と、ほぼ一致する。
10代のうちに治しておかないと、20代以降は人格障害として定着する様子。



 姫ちゃんは、そんな軽症ではないはず。
例えば、エリカの魔法が感染して、変身体質に悩まされていたと言える

 すると、魔法も一種の精神疾患だが、
重度の魔法少女が相手の場合、物語は絶対にコメディーにならないのである。

 まず大地が、怖がって近づかない。
しかし、姫ちゃんの「変身体質」も、精神疾患として決して軽症とは思えない。



 岡澤が、中学2年の亜友に感じたこと。
5歳くらいの女の子が、何かの事情で姉の代わりに学校に来たのかな?

 しかし、他の同級生は見て見ぬ振り。
変身少女は、学校ではその能力を隠しておかないと、誰にも相手にされない。

 岡澤も、背景のない相手なら怖かったが、
「私立の進学校に来た以上、きちんとした両親がいるんだろうな」と思って・・・







 現実路線の「姫ちゃんのリボン」なら、
「大地が自己愛性人格障害予備軍」で、「姫ちゃんが境界性人格障害予備軍」

 これを「ボーダーライン・カップル」と呼ぶ。
「岡澤が自己愛性人格障害予備軍」で、「亜友が境界性人格障害予備軍」の傾向だ。

 すると、あとは「変身」の定義の問題だが、
「最近様子がおかしいな」程度の状況を、コミカルに「変身」と呼ぶなら良くある話。



 先程のシナリオでは、エリカは異母姉妹。
姫子は父親の隠し子のせいで、妙な精神疾患を患ったのだと言うことも出来る

 王様は、自分の隠し子とはエリカに言えず、
「人間界にはお前とそっくりの顔の女の子がいる」と、遠回しの言い方をした。

 だが、亜友の中学受験も漫画と同じで王様の命令。
大地は、「王様の命令」であることが分かったから、安心して姫子に近づいたのだ。



 すると、王様の存在はかなり重要なのだ。
吉住渉の「ママレード・ボーイ」で、4人の両親が真の主役を自称するのと同じ

 亜友の心因性知的障碍が、100人に1人でも、
あの王様の娘という条件をつけると、岡澤に匹敵する希少価値があるかも知れない。

 他者の介入を排除する距離。
姫ちゃんカップルは、12〜13歳の初対面で、一直線型である必要がある



 大地は、小学校で屈折してはダメ。
亜友は、厚木第二小学校の岡澤の同級生に、感謝するべきかも知れない

 「ご近所の底力」で書いた話(*)
岡澤は小学2年の頃より、同級生のお母さんたちに可愛がられて育ったのだ。

 友だちの弟や妹の面倒も見るから。
ああ、そう言えば大地も両親が警察官で、弟たちの面倒をしっかり見ていたな。







 故に、これだけの条件が整えば、
「ほとんど魔法の国シナリオ」が分岐しても、無理はないのかも知れない。

 ところで、ふと思ったのだが、
アニメ版では姫ちゃんが人体実験に震えているけど、現実にはぼくが実験台だよね

 すると、あの妄想は自意識過剰で、
現実の政治家は魔法のリボンよりも、リボンの秘密を暴いた大地の方が欲しい


 姫子 「どうして私のリボンよりも、大地の方が人気者なのよ!」


 姫ちゃんは、リボンを付けても大地に勝てない。
という真実は報道できないため、アニメ版は漫画版に比べ姫ちゃんの活躍が多いです

 「パラレル。パラレル。もっと素敵な日本になあれ」

 どうして日本は変身できないのかと問うた政治家に、
「そのリボンは魔法のリボンではなく、古代の数学者がコスプレに使用していたものです」

 「しかし数学者たちはリボンで変身させていたぞ」と問われて曰く、
「変身するのは遺伝的な体質です。娘にリボンを付けさせたのは数学者たちの趣味です」






 「亜友ちゃんのリボン −モノクロ−」 (3008magical.html) へと続く。


(*)・・・・・・「ご近所の底力」0716nhk.htmlを参照。