□ 目次
□1 それぞれの立場
□2 新しい傍聴人が2人
□3 佐藤玲奈殺人事件
□1 それぞれの立場
法廷では、互いに相手の人格を否定し合い、確かに紛争は解決しても両者の関係が修復不能となることがほとんどである。
岡澤は、遠山先生の嘘を暴く目的で、争点の報告書の執筆者である遠山先生の反対尋問を、裁判官に求めることもできた。
そして両者の壮絶なやり取りを見て、真実が何であったかを冷静な立場で見抜くのが裁判官の仕事である。
永地先生も、遠山先生も、裁判官の目の前で岡澤に激しく攻撃される覚悟はしていたと思う。
永地先生が岡澤と最後に会ってからわずか3年で、これがあの永地先生かと思うほど老け込んだのも当然である。
遠山先生も永地先生も、自分たちの過失を法廷で証言するわけにはいかないが、
そんな事情は知らない岡澤は、法廷では永地先生と遠山先生の悪意を立証しようとするからである。
その壮絶なやり取りを見た裁判官が、
「先生たちが嘘をついているのは間違いなさそうだけど、悪意があったようには思えない」と心証を形成して、
自ら証人に発問して真相を解明し、原告も被告も納得して、和解に持ち込めれば裁判所の機能として十二分である。
たいていの場合は、真実が何であったか分からずに、とりあえず「教師の嘘」だけは認定され判決となる。
すると、岡澤が口頭弁論の終結後に提出した準備書面は、「最高裁判所調査官の報告書」のようなものだった。
1審でも真実が分からず、2審でも真実が分からなかった場合には、最高裁に持ち込まれ、最高裁調査官が真相を究明する。
原告が自発的に、公平な立場で真相を究明した。
裁判所としては、「理想的な原告の訴訟態度だ」と評価してくれるかもしれない。
岡澤は、「事実は不法行為だが、刑法の誤想過剰防衛のような事案だった」と主張し、
「被告が争うならば反対尋問もやむを得ないが、公開法廷の場で、仮にも教師の嘘を暴く気にはなれない」と、
「被告が争うならば反対尋問もやむを得ないが、公開法廷の場で、婚約者の嘘を暴く気にはなれない」と、
裁判所に和解勧告を促した。そして裁判官は、冒頭でその意思を確認した。
すると裁判官が岡澤の本人尋問をしたかったのは、おそらく、
「どうしてそこまで思慮深い原告が、前訴では『有印私文書偽造』を疑われてもやむを得ない訴訟をしたのか」だった。
それに対する岡澤の回答は、「1つめは、殺人事件にしろ婚約にしろ、これらの証拠調べが公開法廷に耐えうるとは思えなかった。
2つめは、当時の私が簡易裁判所の事務に詳しくなく、少額訴訟しか知らなかった」だった。
第2回口頭弁論での、裁判官の「18'000円というのは・・・」の発問からすると、
裁判官は岡澤が請求した 1'984'209 円という金額が、亜友の誕生日ではないかという疑いは持っている。
東大数学科、さらには数学オリンピック日本代表候補という経歴を考慮すると、偶然の一致とは考えられず、
裁判官の目には岡澤が、金目当てで少額訴訟を起こしたようには見えない。
すると判決は、「原告の起こした少額訴訟は、我が国の訴訟制度の不備から発したやむを得ない訴訟と言わざるを得ず、
これを濫訴として不法行為認定することはできない」となるのだろうか。
亜友・父を「娘に『早く嫁に行け』とは言えない父親の微妙な心情を考慮して、反対尋問は望まない」と書いた岡澤の本人訴訟が、
裁判官にとっても、人生の記憶に残る訴訟となったことを期待している。
□2 新しい傍聴人が2人
証拠調べは、最初、法廷に8人いる状態で
(裁判官、書記官2人、原告(岡澤)、傍聴人A、H弁護士(被告側代理人)、永地先生(証人)、石塚先生(証人の付き添い))
始まった。傍聴人Aというのは、特にどちらを応援するわけでもない非常識な岡澤・父だから別によいのだが、
岡澤が訴訟の進行に夢中になっているうち(そもそも証言中は、後ろを振り向かないが)に、傍聴人が2人きたという。
うち1人は途中で退廷し、残る1人も証人尋問終了前に退廷したらしい。
ドアの開閉音と後ろに人がいる雰囲気だけだったらしいので、傍聴人の年齢も性別も不明。
訴訟の存在をこの website で公表している以上、不特定の人物が傍聴に来てもおかしくはなく、
当時の親友らは訴訟を知っているはずで、心配して見に来てもおかしくはない。
しかし、水曜日の午後2時から午後3時半に?
当事者に存在を知られずに帰った以上、原告か被告に、後ろめたいところのある人だろう。
もっとも、あの法廷内でもっとも後ろめたさを抱えていたのは証人の永地先生だ。
その後ろめたさのせいだろう、永地先生はこの3年間で、随分と老け込んでしまわれた。
岡澤は、「横須賀先生→小山校長→永地常務」と、3人の男教師を後ろめたさの崖から突き落とした。
だが、この website で訴訟を知って、面白半分で傍聴に来たが当事者に会わす顔がなかったとは考えにくい。
当事者が真面目に人生を懸けて争っているなら面白半分の傍聴は不謹慎だが、
面白半分の傍聴人よりも、この website の方がよっぽど不謹慎だからである。
そういう不謹慎な動機で傍聴に来るのなら、その不謹慎さに理解がありそうな岡澤に一報くれていても不思議ないだろう。
岡澤の推測だと、学園に有利となる陳述書を提出した亜友が、岡澤の様子を心配して父親と一緒に傍聴に来たのだと思う。
顔を隠して法廷に入ることはできない以上、岡澤や永地先生に見つかる可能性はあるが、
訴訟で手一杯の岡澤はもとより、訴訟に夢中になっている人たちは傍聴席後方の二人組など気にしない。
だが残念ながら、非常識な原告の父親だけが気配に気付いた。
仮に岡澤が気付いたとしても、声をかけることはしないだろうし、
たとえ岡澤が亜友の陳述書に腹を立てていたとしても、まさか退廷しようとした際に追いかけては来ないだろう。
もし永地先生や石塚先生が亜友・父娘の入廷を見れば心を痛めるかもしれないが、今さらの話である。
だが亜友・父娘には、他人事のように証人尋問を傍観している男が原告の父親だとは完全に想定外だった。
もしも証人尋問の法廷が、こういう人物構成だったと仮定すると、驚いたのは裁判官だろう。
H弁護士は岡澤に、「亜友と最後に会ったのはいつですか?」と聞いて、
岡澤が「あれは卒業式だから、8年前です」と答える。
裁判官は、「それなら、あの傍聴席に座っている女性は誰ですか?」と発問したくて仕方ない。
新郎新婦は、ともに父親に付き添われて入廷していた。
だが考えてみると、民事訴訟法の抜け穴である。
家事事件として扱うべき婚約を地方裁判所で争ったために、
表だって原告を応援するわけにいかないメンバーが、匿名の証人として傍聴席に集まっていた。
被告側代理人だけがその婚約を争う法廷は、ドラマのようである。
亜友だけが途中で退廷したのは、岡澤が尋問される様を、見ていられなかったからだろう。
さらに追記すると、岡澤は亜友が入廷する直前に、亜友の写真を裁判官に手渡している。
「本来は前日までの提出が原則なのですよ」と裁判官には注意されたが、時間があったので読んではくれた。
亜友と遠山先生が一緒に映っている写真と、それぞれ個別に映っている写真の合計3枚を、
中学時代の卒業アルバムから抜き出して、「遠山先生の陳述書は無理がある」と主張したのだ。
何が素晴らしかったかというと、傍聴席に入ってきた亜友を見れば、
いくら12年前の写真といえど特に女性裁判官の目には、入ってきたのが写真と同一人物の亜友だろうと推測できるわけだ。
裁判官に注意されるのは承知で当日持参した以上は、たぶん岡澤の無意識はこの展開を期待していたのだろう。
それで岡澤の期待に亜友が応えたから、裁判官も絶句したというわけだ。
□3 佐藤玲奈殺人事件
そもそも、岡澤は公開法廷の準備書面として、検察官の冒頭陳述さながらの「佐藤玲奈殺人事件」を提出して陳述している。
陳述といっても民事法廷だから陳述擬制で、実際に読み上げたわけではないが。
実行犯として「内村陽子」の名を挙げ、使われた道具として杖を挙げ、睡眠薬の袋に付着した指紋も記載し、
立証の方法として「警察に再捜査をしてもらう」と書いた準備書面である。
この準備書面を陳述した岡澤の度胸も度胸だが、被告である学園は何も反論してこなかった。
裁判官も被告も見て見ぬ振りかと思いきや、岡澤は本人尋問の際に「殺人事件」という言葉を使って答えた部分もあるし、
証人尋問では被告側代理人も、きちんと準備してきていて、殺人事件についての質問も少しあった。
不思議な気持ちだが、民事法廷では、殺人事件は追及されないらしい。
この佐藤玲奈殺人事件を陳述したのは、「原告と被告と亜友の間には複雑な事情がある」と説明するためだったが、
学校法人公文学園への解散命令にも繋がる話で、理事の登記が抹消されている説明にもなっている。
しかも、それだけではなかった。岡澤が、この佐藤玲奈殺人事件を陳述したことは、
裁判官の心証形成の上で、岡澤に有利に働いた部分が他にも多々あった。
まず第一には、小川三四郎探偵事務所のことである。
「東大数学科卒の原告が、なぜ探偵に?」という疑問は当然で、普通はまともに取り合ってもらえない。
最愛の恋人が自殺を装って殺害されたと陳述し、確かに佐藤玲奈が当日に不審死したことは確認された。
「それで原告は最愛の恋人の自殺を追って、東大数学科在学中に探偵事務所を開業したんですね?」となる。
原告が、これだけ本格的な動機で設立した探偵事務所である以上、
どんなに事業規模が零細であろうと設立の趣旨は正当なものであり、亜友・父の会社だって無視はできないはず。
被告側代理人は、この「佐藤玲奈殺人事件」を読んで驚いただろうが、裁判官はむしろ納得したはず。
13年前に自殺した恋人を追い続けている岡澤の誠意である。
第二には、問題となっている殺人事件の日付、1997 年1月18日。
岡澤の主張によれば、この日付は岡澤が小脳出血に倒れた日付であり、その4日前に岡澤は警察に通報したとされる。
通報はともかく、こういう日付に嘘をつくとは考えにくいし、被告の反論もない。
訴状には、原告が身体障碍者である旨が明記されてある。
佐藤玲奈の死は、日付だけで十分に原告である岡澤の誠意を示している。
この佐藤玲奈殺人事件の陳述は、岡澤の大胆さの勝利というか、
「被告が争ってきたら、その時はその時」と自分に言い聞かせて、冒頭陳述をした者勝ちである。
被告側代理人も、弁護士の職権で照会はしたかもしれないが、警察の捜査情報まで手に入るはずがない。
口頭弁論を「立証方法さえ示せば良い、想像力と想像力の戦い」と位置づけた原告の勝ち。
逆に言うと、「1」に書いたように事件の複雑さが原告の想像力も、裁判官の想像力も越えた場合には、
双方が納得する真実を発見するためには最高裁調査官の手を借りるほかないわけである。
そもそも、原告の想像力に被告の想像力が追いつかなかったから訴訟になったんだし、
訴訟というのは法律を常識として知っている者同士が、想像力を戦わせるスポーツなのである。
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