証拠調べの方針
高井戸のロッカー・ルームで、
10年前の手紙を引っ張り出してきて読んだら、さすがに感慨深かった。
<<解説>>
最後は、裁判になると予感した16歳の岡澤は、
10年前の、高校2年時の亜友の手紙やら、Sion.S. の手紙やらをきちんと保管している
。
当時の手紙の保管など、Sion.S. も想定外だろうが、
学校法人公文学園が争ってきたので、5〜6行コピーして、横浜地裁に提出するのでご承知を。
探しに行ったのは、岡澤の記憶が正しければ、
亜友の手紙の中に、岡澤が「遠山先生」に相談をしたことを責める一節があったはず
。
これは、10年前の記憶というわけではなく、
2003年、大学1年の頃までは当時の手紙を読み返し、記憶を復元しようと努力していたから。
手紙は、ソフトカードケースに保管してあり、
紛失する可能性もないし、「岡澤の記憶が正しければ」、訴訟に利用可能な記録である。
−確かに、少女漫画の便せんで見つかった
。
7年ぶりに開いた、見事な示相化石である。
裏側に、大学1年頃の岡澤の字で、「4月28日(午前)」と書いてあるのが感慨深い
。
なぜ、3年も経ってから日付を書いたのか。
それは岡澤の心の整理がついてから、
当時の自分の日記帳と必死に対照した結果だ
。
岡澤の記憶回復は、2006年以降の話。
だから、自分の記憶喪失に備えて残しておいた日記帳を頼りに、話を復元している最中だ。
当時の自分に、優しく言ってあげたい。
「安心しろ。この少女漫画の便せんを見たら、裁判官はお前をストーカー認定しない」
亜友に悪いが、手紙の内容に踏み込むと、
彼女のオランダ在住時代の話と、小学生時代の話と、岡澤をバカにする言葉で構成される。
証拠調べで、裁判官が見たら思うはず。
「被告は、いったい何をどう間違えて認定して、原告をストーカー扱いしたのです?」
さらに、「遠山先生」の名前も書いてある。
争点の報告書の執筆者=遠山先生が、岡澤と亜友について無知だったとは思えない
。
そして、この2人の喧嘩の実態を知っていたら、
遠山先生本人に岡澤に対する強い悪意でもない限りは、岡澤=ストーカー報告書は書けない。
証拠として、破壊力抜群の手紙もあったものだ。
岡澤の、追加提出予定の証拠としては、
1 Sion.S. の手紙の、当時の亜友の特徴が述べられている部分。
2 遠山先生が第三者でないことを示す、中学卒業アルバムの個人及び百人一首部の写真
。
コラム
「Sion.S. の手紙」
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「遠山弘詞の誤想過剰防衛」
−真実は残酷だ−
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「証人尋問 亜友の傍聴日記」
小川三四郎探偵事務所
代表取締役社長 岡澤代祐
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