公文国際学園と連続殺人


 殺人事件が、被害者の恋人にどれだけ深い傷を負わせるか、

公文国際学園で発生した事例は、Why be moral ? の問いに、端的な回答を与える。



 ← 2007.1.18. 当時の告発が、ドラマ化されました



 <<結論>> 内村陽子(当時 35)の悪意


「私なんてね、8歳年上の外科医と見合い結婚したのよ!

 それが、何。12歳で純愛なんて、笑わせないで!」



息子さんは中学1年の頃、両親の見合い結婚を親友に相談していましたよ


 それで、2人の愛を試そうとして、
虹の大橋に岡澤の杖を置き、飛び降り自殺後の光景をセッティングしました。


(本当の純愛はね、これを見て後追いするのよ。貴女にできる? フフフ・・・)

 −玲奈ちゃんは、飛び降りました−

「13歳の小娘に、先を越された・・・・・・」

−終了−





 ふと思ったのだが、これは純愛以前の話で、
当時の内村陽子(35)が、性的欲求不満(セックスレス)を抱えていただけとか。

息子さんは中学3年の頃、父親の部屋で18禁ゲームを見つけたと親友に相談しました



 さらに、突如素晴らしい新説が生まれて、 これは、数学戦隊マスレンジャーと国語戦隊コクレンジャーの抗争ではないかとも言えます。 中高生の遊びに過ぎないと言われても、 元祖マスレンジャーは、全員が東大か京大に進学し、寝返った国語のボスは、東京大学文科T類から教育学部へ進学しました。 羽生(内村)は、元祖マスレンジャーの敵役で、国語側に肩入れもしていて、母親が玲奈ちゃんを殺害しました。 数学のボスは、東京大学理学部数学科を卒業したぼくです。
 そう考えると、中学高校時代の遊びを引きずっているだけとはいえ、文化祭の予算で戦っていた中学高校時代より本格的に、 国家予算で核武装した数学戦隊マスレンジャーと国語戦隊コクレンジャーです。 「そんなことに国家予算を使うな」と言われても、 経済界、特に証券会社業界は、数学戦隊マスレンジャー(東大数学科)の協力がないと動きません。 だから、国語戦隊コクレンジャー(東大法学部)が頑張ったところで、日本経済を兵糧攻めできる相手には敵いません。
 数学戦隊マスレンジャー vs 国語戦隊コクレンジャーの抗争として象徴的なのが、 数学部の後輩たちが狙い打ちされていることです。 教え子4人のうち、T君とMさんは、本人が難を逃れています。 「少し間違ったら、自分が狙われていたのかも」と、実はその可能性は低いです。 犯人は、数学オリンピック予選合格者の殺害は避けています。 ぼくの東大合格時に、2人は既に合格者で、氏名は公表されていました。 警察が「数学部」に疑いの目を向けるのを避けたかったのでしょう。

 戦後犯罪史を眺めていると、1971年4月の連続殺人が「似ている」という印象を受けました。 ミネルヴァの梟のごとく「全容解明とともに飛び始める」ところに、 マスメディアが発達した現代に発生した事件にも関わらず昭和の戦後犯罪史のような印象を受けるのでしょう。 最初の事件から14年間も実行犯を泳がせ続ける長閑さとともに・・・
 経済の発展とともに、警察の科学捜査力は向上したものの、 「お客様の中に犯人はいません」という資本主義的性善説が迷宮入り事件を生んでいるといった印象も受けます。 ただ、「プロによる犯罪」と「素人による犯罪」を区別せずに論評するのは間違っていますね。 ああ、そうか。「警察の科学捜査力の向上は、プロと素人の二極分化に貢献している」という動物行動学的結論の通りですよね。 「お客様の中に犯人はいませんから税金払って下さい」で充分なのかも。



□ 目次 −事件は7までで完結します−

   □1 佐藤玲奈殺人事件
   □2 警察の初動捜査は
   □3 気付いた仲間たち
   □4 亜友の退学の危機
   □5 次なる生徒不審死
   □6 岡澤代祐不在証明
   □7 生徒不審死の連鎖
   □8 共犯者の協力動機


   □9 再び佐藤玲奈事件
   □10 母たちのアリバイ
   □11 誰かの親が殺人犯
   □12 憶測が生んだ連鎖
   □13 「神々の指紋」
   □14 史上最悪の不祥事


(*)・・・・・・「入水自殺説」から「虹の大橋説」へのシフトは、2011.1.14. です。




□1 佐藤玲奈殺人事件 (*)

 1997.1.19. 前日から行方不明で捜索願いが出されていた佐藤玲奈(13)の遺体が、 神奈川県清川村の、宮ヶ瀬ダム工事現場(現在は完成)の虹の大橋付近で発見された。 遺体には、突き落とされたことを疑わせる傷はなく、警察は飛び降り自殺と断定した。 だが遺体から睡眠薬が検出されたことや、佐藤玲奈が懐中電灯を持っていなかったこと等、 疑わしい点は多々あった。
 佐藤玲奈は、前日の1月18日午後7時頃に飛び降り自殺をしたとみられ、この日は、 佐藤玲奈の元交際相手で厚木市立厚木第二小学校の同級生であった岡澤代祐(13)が小脳出血で搬送され、 緊急手術を受けた日から丸2年目の記念日に当たっていた。 佐藤玲奈は、岡澤代祐の小脳出血の原因を自分のせいだと思いこんで深く落ち込んでおり、 当時もまだ、落ち込みから回復していなかった。

 事件から4日前の1月14日、神奈川県警察本部はこの岡澤代祐から通報で、 「4日後の1月18日に元恋人の佐藤玲奈が自殺するかもしれない」と相談を受けていた。 警察は、この事件と岡澤代祐との関係を疑うも、2人は同厚木第二小学校の卒業式前日に別れ話をして以来連絡を絶ち、 佐藤玲奈が家族とともに厚木市から転出して以降は、岡澤代祐は彼女の連絡先すら知らなかった。
 岡澤代祐がこの佐藤玲奈の事件に関与した可能性を疑うにも、 当時の岡澤代祐は上記の小脳出血で身体障害者手帳2級を取得した程度の身体能力しかなく、事件への関与は否定された。 当時の岡澤代祐が生活していた横浜市内の私立公文国際学園男子寮のスタッフも、当日の岡澤代祐のアリバイを証言し、 特に変わった様子はみられなかったという。

 警察官による聞き込み捜査の結果、佐藤玲奈は学校帰りに30代の女性に声をかけられ、 現場付近までそのまま同行したことが分かっている。 佐藤玲奈の診療をしたことがあるという医者は、睡眠薬の処方を否定しており、薬局で購入された形跡もなく、 警察は佐藤玲奈の服用した睡眠薬がこの女から手渡されたものとみて女の行方を追っている。
 中学1年の岡澤代祐には、教育的配慮により事情聴取はなされず、 また岡澤代祐の母親は事件当日、「PTAの集まりがある」という嘘の連絡を信じて公文国際学園を訪れている。 これは同校の教師らが証言しており、事件の目撃者も岡澤代祐の母親に見覚えはないという。 警察は、佐藤玲奈殺害の実行犯が、何らかの目的で岡澤代祐の母親を公文国際学園に呼び出したとみて捜査している。


(*)・・・遺体発見の状況と死亡推定時刻は、正確ではありません。


□2 警察の初動捜査は

 虹の大橋での飛び降り。佐藤玲奈は自らの意思で睡眠薬を飲み、飛び降りたとしか考えられなかった。 「長男の命日に手を合わせに来た」という親子を、虹の大橋まで送ったというタクシー運転手の証言があった。 運転手は、「他に人影はなかった」と証言している。 実行犯が女一人では、佐藤玲奈が「帰る」と言い出したときに、フェンス越しに投げ落とすのは不可能だ。
 女は佐藤玲奈を騙して、岡澤代祐が自殺したと誤信させ、後を追わせたのだと考えられた。 女は岡澤代祐の母親を公文国際学園に呼び出した、公文国際学園の関係者と思われた。 しかし、ここで岡澤代祐の母親から事情聴取すると、犯人が不明のまま公文国際学園に悪評が立つ可能性が高い。 公文国際学園に許可を取らないと、これ以上の捜査はできない。

 1997年、学校法人公文学園は神奈川県警察より連絡を受け、 同校に在籍する中学1年の岡澤代祐の元恋人である佐藤玲奈が殺害され、 殺害の実行犯は同校に在籍する生徒の母親である可能性が高いという報告を受けた。 警察が、捜査情報をどこまで学園に手渡したかは定かではない。 そもそも、殺人なのか自殺関与なのかさえ、実行犯から事情聴取するまで確定しない。
 学校法人公文学園は、生徒の個人情報を警察に提供するわけにいかないと情報提供を拒否し、 学校内外で殺人事件の噂が立つと困るという理由から、生徒や学校関係者への事情聴取も拒否した。 警察は、学校法人の不利益にもなりうるという理由で、神奈川県のその他の行政機関への報告は判断を学校法人に委ねると説明し、 これをもって事件の捜査本部は解消した。

 そもそも佐藤玲奈は公文国際学園の生徒でない。岡澤代祐の親友でもない限り、岡澤代祐と彼女との関係など知りようもない。 だから、殺人の実行犯は岡澤代祐の親友の母親だ。 学校から殺人犯を追放するには、岡澤代祐の親友を退学に追い込んでゆけば良い。 だが、岡澤代祐が不良グループの中心人物なら良いが、岡澤代祐はエリート数学部員の中心人物。
 私立中高一貫校だけに、容疑者を絞り込めなかった。 奇しくも、男子寮で岡澤代祐と同じ四人部屋で生活する、岡澤以外の3名は全員が医者の息子だった。 彼らの母親なら睡眠薬も予算も簡単に調達できるというわけである。 さらに、この中の2人の男子生徒は、東京大学を狙える優秀生である。 容疑者を誤爆して退学にすると、学校の損害も大きいのだ。




□3 気付いた息子たち

 佐藤玲奈の死後、彼女の死を岡澤代祐より先に心配した親友がいる。羽生(通称)だ。 「俺のお袋が岡澤の玲奈ちゃんを殺したのかもしれない」と、そういう心配は、普通はできない。 人間の記憶は、そういう心配が持続しないように作られている。 岡澤代祐ですら、佐藤玲奈の死を知って8ヶ月後には既に彼女の記憶が消え始めていて、その自覚症状があった。
 確かに、岡澤代祐と羽生は良きライバル同士だった。 岡澤代祐が羽生の思い込みを心配して、羽生は岡澤代祐の気持ちに配慮して、佐藤玲奈の死を他の同級生には喋らず、 他の親友たちが「岡澤君の元カノの自殺」と想像する頃には2人は完全に記憶喪失だった。 逆の視点では、2人が記憶喪失してしまったからこそ、公文国際学園の秘密は守られた。

 岡澤代祐は、中学1年の頃、自分の最愛の恋人である佐藤玲奈の話を隠していたわけではない。 彼女が、本当に「最愛の恋人」であった故に、他の中学1年生には信じてもらえなかったのだ。 「そんな最愛の恋人がいたなら、誰も知らないのは不自然だよ」ではなく、 「そんな最愛の恋人がいたなんて、現実離れしすぎて誰も信じないよ」だったのだ。
 高校2年の秋になって、岡澤代祐の周囲では「岡澤君には最愛の恋人がいて、自殺した」という噂も生まれた。 岡澤代祐本人は、3年半前から佐藤玲奈の自殺を想像して悩んでいたのだから、噂が真実に追いつくのに3年半かかった。 「校内で起きた殺人事件に、生徒たちが動揺するのではないか」は、先生たちの買いかぶり。 現実の中学1年生の間では、噂にもならなかった。

 手品師が、右手でマジックを披露している隙に左手で次のマジックの準備をしても誰も気付かない。 手品師が右手で披露しているマジックが噂の的になっているときには、左手の話をしても噂にもならないのだ。 なかなか信じてもらえない中学高校6年間を過ごした岡澤代祐だからこそ、 「書き過ぎたweb 告発の方が、かえって安全」だと知っていたのである。
 ぼくが提案する、保護者が起こした佐藤玲奈殺人事件に対する最も大胆で的確な解決策は、 石曾根校長自らが「私が岡澤君の最愛の恋人である佐藤玲奈を殺した」と警察に名乗り出ることである。 岡澤代祐に対しても、「私が君の恋人を殺した。恨むなら私を恨みなさい」と告げる。 世間が石曾根校長の言動に注目しているうちに、殺人犯は逮捕されて公文国際学園は事なきを得たはず。




□4 亜友の退学の危機

 今になって思い返すと、当初、佐藤玲奈が殺害されたことを知っていたのは学校法人理事クラスだけだったが、 高校2〜3年時に岡澤代祐の学年主任だった、横須賀先生は知らされていたのだと思う。 2000年度に、岡澤代祐の謹慎処分であれだけ大きな失敗をした横須賀先生が、 2001年度にも岡澤代祐らの学年で学年主任を続けることができたのは不自然なのである。
 当時17歳の岡澤代祐も、この不自然さには気付いており、「学校ぐるみで何か隠している」とは感じていた。 だからこそ警察への通報体制を整えて、横須賀先生と喧嘩をしていたわけだが、 「佐藤玲奈の死」を記憶喪失した岡澤代祐には、「学校ぐるみで隠さねばならない程の事情」が分からない。 今になって考えると、佐藤玲奈が「殺害された」噂の、職員室での拡大を恐れたのだ。

 すると、横須賀先生が亜友の退学にこだわった理由は、「殺人犯は亜友の母親」と考えたから。 さらに岡澤代祐の抗議を受け、石曾根校長が亜友の退学を取り消したのは、 「岡澤君の様子を見ていると、亜友の母親が殺人犯には思えません」という凄まじい理由だったのだ。 もはや、学校の会議室で話し合うべき議題には思えないのだが。
 そして、それでも横須賀先生が亜友を脅迫してまで退学にしようとしたのは、 「たとえ岡澤が『違う』と言っても、私には亜友の母親が殺人犯に見える」と考えたからに他ならない。 そしてこの頃、2001年4月に石曾根校長が退任して、小山校長が着任したが、石曾根校長は退任の際に小山校長に、 「佐藤玲奈殺人事件」事務を引き継がなかったようである。

 岡澤代祐は、横須賀先生が何か個人的な理由で亜友を脅迫したことを心配していたのだが、2001年9月、 横須賀先生が亜友を脅迫した理由を個人的な悪意ではなく、「学校の事務処理上の必要に迫られて」と結論した。 学園としては、岡澤代祐が横須賀先生を恨んで暴力事件でも起こしてくれた方が有り難かったと思う。 最重要機密事項の存在に、岡澤代祐は感づいてしまったのだから。
 すると、教師による痴漢事件報道の多さに、「本当かな?」という気分になる。 横須賀先生が、「佐藤玲奈殺人事件の真相を隠すために」亜友を脅迫したという真相が報道されるくらいなら、 横須賀先生が、「自らの性欲を満たすために」亜友を脅迫したという報道の方が、学園としては有り難い。 つまり、学校での殺人事件疑惑を煙に巻くための、痴漢事件報道である。




□5 次なる生徒不審死

 すると横須賀先生は、「学園の秘密を守るために岡澤代祐と戦った」わけであり、 亜友を脅迫したことを理由に辞職を迫られることはないし、岡澤代祐を自殺に追い込みかけたところで責任は問われない。 むしろ、小山校長から労いの金盃をもらえそうな話で、2002年3月に解雇とならなかった理由も納得できる。 本人の、「教師を続ける自信がなくなった」は当然だろうが。
 2003年5月に、岡澤代祐が小山校長に会いに行くと、ちょうど校長室で会議中だった。 10分くらいして小山校長は飛び出してきて、岡澤代祐に「合格おめでとう」と軽く挨拶すると、走って逃げ出した。 小山校長の対応に腹を立てた岡澤代祐は、校長室のドアに「次は横浜地裁でお会いしましょう」と張り紙して帰った。 年度末の2004年3月、小山校長と横須賀先生は同時に退職した。

 ぼくの大胆な推理だと、2003年3月頃に、1人目の生徒不審死が起きたのだと思う。 亜友の両親は卒業後、校長室を訪れて娘の知的障碍回復に感謝する言葉を伝えに行ったという。 小山校長が大変慌てている様子を見て、夫婦は「校長先生って、やっぱり忙しいのね」などと思ったという。 だがそれは違う。校長は、亜友の母親を殺人犯だと思っているだけだ。
 それが2002年4月頃の話。2003年3月にも、同一犯と見られる人物の犯行により生徒が不審死を遂げたとしたら。 小山校長は悟るわけだ。「殺人犯は亜友の母親とは思えない。動機がない」と。 すると、殺人犯を亜友の母親と推理して、亜友を退学にしようとした横須賀先生の責任問題になる。 それで小山校長の責任問題にもなって、だが事情が複雑すぎて「退職」扱い。

 2004年の秋に生徒の興味をひいていた9期生の不審死とは、別の事件。 最初の殺人から6年も経っている以上、犯人が殺人を楽しんでいるとは考えにくい。 最初の殺人の実行犯である羽生の母親が、岡澤代祐による「騒ぎの全容解明」を阻止するために、 岡澤代祐に容疑をかけようとして犯した殺人である可能性が高いと推定する。なら岡澤代祐と親しい後輩が危ない。
 すると、2003年3月に『転校した』と告げられている8期生の教え子の安否を思ってしまう。 犯行は岡澤代祐の東京大学合格発表後に計画されたものとみて間違いないはずで、 公文国際学園は春休み中であった可能性が高い。 「学校関係者に殺害された可能性がある」と知った両親が、葬式に学園関係者を呼ぶとも思えず、 学園も「ご家庭の都合で急に転校されました」と発表するはず。




□6 岡澤代祐不在証明

 2002年。浪人中の岡澤代祐は、2000年当時の亜友の手紙などを読み返しながら、 自分の親友であるはずの羽生の行動を不審に思っていた。 親友であるはずの羽生が、亜友を挑発して騒ぎを大きくして、亜友が退学の危機になった。 その亜友を庇って、岡澤代祐が謹慎処分を受け、亜友の退学に反対した。 しかし羽生は、そこまで善悪の区別ができない男ではない。
 それで岡澤代祐は、「善悪の区別もなく、騒ぎを煽り立てた真の黒幕は誰だろう」と考え、 2002年の8月には、それが羽生の母親であると結論していたのである。 そもそも玲奈ちゃんの死の記憶すら完全に喪失中で、羽生の母親の殺人など想像もしなかったが、 岡澤代祐は2002年の時点で黒幕を「羽生の母親」と推定していたのだから数学オリンピック級の知能は侮れない。

 そこで2003.3.10. に東京大学の合格通知が届くと、岡澤代祐は真っ先に羽生の両親に宛てて抗議状を書くわけだ。 それは佐藤玲奈殺人事件に対する抗議状ではないものの、受け取った羽生の母親は、殺人事件が発覚したと思いこむ。 それで、何としても岡澤代祐に容疑をかけるために、熟慮する時間もなく岡澤の教え子の8期生を、殺害した。 時期的には、春休み中に。
 これが、深く考えずの殺人だと断言するのは、 岡澤代祐の教え子を殺害しても、警察が岡澤代祐に容疑をかけることは有り得ないからだ。 というのも「公文国際学園は生徒の個人情報を警察には提供できません」はずだから。 すると遺族の証言だけになるが、数学部の新入生だった娘たちと楽しく数学部活動をしていた岡澤代祐に容疑はかけないだろう。

 すると2004年度に、9期生の不審死が在校生の話題になっていたのも理解できる。 羽生の母親は、何としてでも岡澤代祐を犯人に仕立て上げなければと考えて、自ら被害者の遺族となって、 「長男の友人の岡澤代祐君は、私たち家族を恨んでいました」と警察に話すために、3男の9期生に手をかけたのだ。 既に2人殺していれば、もう止まらない。
 という話ならば、さすがに岡澤代祐が警察の事情聴取も受けないのは不自然である。 在校生の間で噂になっていた時期を考えると、2004年の春頃の不審死じゃないかと思うのだが、どうしてだろう。 単純なことである。この website にも書いてあるとおり、2004.3.23. 〜 4.14. まで岡澤代祐は、 山梨県警公認の峡南自動車学校で、円周率を10000桁覚えていたのだ。




□7 生徒不審死の連鎖

 すると追いつめられた羽生の母親は皮肉にも、岡澤代祐に容疑をかける目的で3男を殺害したものの、 かえって「岡澤代祐は連続生徒殺害犯ではない」ことを警察に証明してしまった。 だが、警察が岡澤代祐のアリバイを公表するはずもなく、羽生の母親も岡澤代祐のアリバイなど知らない。 何としても岡澤代祐を犯人扱いするため、去り際のPTAで噂をバラまいたはずである。
 そんなことは知らない岡澤代祐は、2004年に着任したばかりの石黒校長と遠山副校長に、 2000年当時の騒ぎの真相解明に協力を要請する。 岡澤代祐とは顔見知り程度の石黒校長も、岡澤代祐を良く知るはずの遠山副校長も、 PTAで広まる噂を否定して、快く協力してくれたわけか。 この話を書きつつ、教師の寛大さに胸を打たれるぼくなのだが、安全管理の方は、大丈夫?

 2004年度は、校長や副校長らに会いに行くついでに数学部にも遊びにいった。 PTAで「岡澤代祐は殺人犯」という噂があったのに、部員たちが受け入れてくれた原因は、 やっぱり、2004年度の数学部には岡澤代祐のガールフレンドの1人が在籍していたのが大きいのだろうなあ。 法廷で、「岡澤先輩は殺人なんかしません」と証言してくれる人の大切さ。
 すると、警察でもPTAでも「岡澤代祐は殺人犯」だと言いふらしてやったのに、 岡澤代祐の取り調べもなく噂も広がらないことを不審に思った羽生の母親が調べると、 8期生に岡澤代祐の無実を信じるガールフレンドの1人が在籍していると判明した。これでは法廷に持ち込めない。 それで、彼女の家族からの応援を断ち切るために、12期生の彼女の弟を殺した。

 確かに縁起でもないが、2005年の秋頃に、彼女の態度が急変した。 次に岡澤代祐の無実を証言してくれそうな教え子というと、2005年の春に東大入学し、数学科まで岡澤代祐を追ってきた彼。 2007年の数学科進学時の彼は、岡澤代祐の隣の席が空いているとそこに座ったが、結局は会話もできなかった。 君の妹さん、12期生だったっけ。
 残る岡澤の教え子は、8期生のK君が、2006年に東京大学に入学して、久我山在住で岡澤代祐と家が近かった。 そういえば、ある日の久我山駅から帰る道、警察が"Keep Out "のテープ貼って、強殺か何かという噂だったよ。 行きつけの酒屋で聞いた。すると2ch の噂話の、8期生2人、9期生1人、12期生2人。 岡澤代祐と接触するたびに、教え子から1人ずつ・・・・・・。信じたくない。




□8 共犯者の協力動機

 2011.7.13. ついに岡澤代祐の母親が誘拐事件に協力した動機が解明できた。 内村の母親は、岡澤代祐の母親に、「もしかしたら御主人の記憶喪失も治るかもしれないわよ」と唆したのだろう。 小脳出血に倒れた岡澤代祐も、記憶喪失で恋人の佐藤玲奈の記憶を失ったが、 岡澤代祐の父親も息子の小脳出血に苦しんで、13年間の結婚生活史を記憶喪失していた。
 佐藤玲奈が息子の方の岡澤代祐の記憶喪失を治そうとして絶望感と無力感に打ちひしがれていた頃、 岡澤代祐の母親も、息子を中学に進学させた後、夫である岡澤代祐の父親の記憶喪失を治そうとして絶望感と無力感に打ちひしがれていた。 当時親しく毎月のように電話をしていた内村の母親が、この状況を知らぬはずはない。

 佐藤玲奈との復縁を考えているだろう息子のことを思えば、岡澤代祐の母親がこの誘拐事件に協力的だったとは思えない。 また、息子の小学校時代の思い出の杖を犯行に使うことも、母親が承諾したとは考えにくい。 「旦那さんの記憶喪失−結婚生活史全健忘−が治るかも知れないわよ」とでも唆されない限り、協力はしなかったと思われる。
 内村の母親のこの誘い文句では、「相手の心神耗弱に乗じて」協力させたというべき状況である。 岡澤代祐の母親の刑事責任は棄却されるだろう。 さらに状況を普遍的に捉えてみるとこの外科医の妻は病み上がりの障碍児を標的にして、 介護疲れで心神耗弱状態の母親を利用して、介護疲れで心神耗弱状態の恋人を自殺させた。

 この推測を補強する証拠としては、この佐藤玲奈の死の直後、 岡澤代祐の母親は夫の記憶喪失の治療に用いていた古いアルバムを、全部焼き捨ててしまった。 当時は、単に3回目の1月18日が過ぎたからなどと説明されていたが、 夫の記憶喪失の治療ノイローゼが原因で、息子の恋人を自殺させてしまったからというのが真相だろう。
 言うまでもなく佐藤玲奈誘拐へのアリバイ協力が夫の記憶喪失の治療に繋がる可能性は限りなく0に近いが、 藁にもすがる思いというのはそういうものであり、外科医の妻がその思いを悪用した形である。 もっとも内村の母親も、玲奈ちゃんが飛び降りることは想定外どころか盲点であって、 「悪用」というよりは単なる自己満足である。







Q 「どうして犯人は、岡澤代祐本人を狙わないんでしょうねえ」
A 「そりゃ、息子を殺されたら、岡澤代祐の母親が真犯人の名前を警察に喋ります」

Q 「母親の愛ですかねえ」
A 「いえ、単なる弱みの握りあいです」








−佐藤玲奈殺人事件− (未必の故意)

 実行犯 : 内村陽子
 幇助犯 : 岡澤由美子

 <<断定の根拠>>

・ 神奈川県在住の岡澤代祐は、羽生宅など1度も訪れたことがない。
・ 岡澤代祐の自殺を偽装するために用いられた、岡澤代祐の「杖」が埼玉県内の羽生宅から発見された。
・ 興信所作成と見られる「岡澤代祐の調査報告書」が、羽生宅から発見された。
・ 外科医宅には、睡眠薬が転がっていても不思議ない。睡眠薬の袋は、羽生・母が回収したのだろう。(推理訂正)



















□9 再び佐藤玲奈事件

 殺人事件が多発して、警察が動かないのは信じられないと言うかも知れない。 佐藤玲奈の事件に関しては、殺人と自殺関与の境界線のような事例で自殺関与なら5年もすれば時効成立だろう。 殺人時効15年時代でも、時効まで逃げ切る犯人は珍しいだろうし、 時効完成後に自力で犯人を捕まえる被害者の恋人は、もっと珍しいはずだが。
 1997.1.18. の佐藤玲奈の自殺。 この日付が、岡澤代祐と佐藤玲奈の永遠の記念日だったことを思うと、これは心中事件に近い。 中学1年当時の岡澤代祐が、「佐藤玲奈の心中願望」を説明しても一般的な同級生では想像もできないし、 さらに4年が経過して、岡澤代祐らが高校2年になった時分ですら、「心中願望」までは誰も想像しなかった。

 つまり、犯人はこの物語を完成させようとして佐藤玲奈を、1997.1.18. に自殺させたのである。 佐藤玲奈はどうして飛び降りを決意したか。それは、犯人の偽装工作に騙されて、先に岡澤代祐が飛び降り自殺をしたと誤信したから。 犯人は、遺書と睡眠薬を持って佐藤玲奈を連れ去り、橋の上に落ちている岡澤代祐の身体障碍の象徴である、 杖を発見させたのだ。
 実行犯が自分の杖を犯行に使ったと気付いた日、筆者はかなり落ち込んだ。 杖を準備しての犯行では、実行犯の「悪ふざけのつもりだった」という言い訳は通らない。 だが、その割には犯行現場を「事故を装って確実に殺せる」川の上流でなく、虹の大橋に選んでいる。 だから筆者は推理を間違えた。実行犯は真剣だったが、「確実に殺す」つもりはなかった

 すると犯人の動機は、「二人の真剣な愛を試したい」美意識と考えるべきか。 最初にこう書いて、ぼくは聞き覚えのある内容に悩んだ。過去にも、自分は同じことを考えたような気がした。 いや、違う。思い出した。高校1年時の羽生が、自分の母親の佐藤玲奈殺害動機について、 「うちのお袋は、『純愛は最後は死で終わるべきだ』という考え方なんだ」と言っていた。
 読めた。高校1年当時の羽生の推理は間違いだ。君のお母さんは、そこまで殊勝じゃない。 君の母親は、8歳年上の外科医と見合い結婚という「純愛」をしていると、言っていたじゃないか。 その純愛理論は、合理化という適応機制だよ。 君の母親は「12歳の純愛」がいかに幼稚かぼくに思い知らせようとして愛を試したら、玲奈ちゃんが後追い自殺したんだ。

 4403rena.htmlの方に加筆したので、こちらにも加筆。 実行犯は、「殺すつもりはなかった」どころか、たぶん「佐藤玲奈が後追い自殺しないよう」十分に注意した。 自殺の名所と言われた虹の大橋は、簡単には自殺できないようフェンスが設置され、 もしも佐藤玲奈がよじ登ろうとしても、羽生の母親はそれを止めるつもりで殺人を犯さないように配慮していた。
 ところが、想定外も想定外のことが起きた。岡澤代祐の杖がそこに落ちているのを見た佐藤玲奈は、 彼が自らの杖を足場にしてフェンスを乗り越えたのだと考えて、あっという間にフェンスを乗り越え飛び降りた。 止める間もなく、呆気にとられる羽生の母親。ついに人殺しになってしまった。 だが過失致死で許されるとは思えず、殺人罪は覚悟して下さい。




□10 アリバイ工作の母親

 さて、岡澤代祐の母親の、1997.1.18. のアリバイ工作は、その日にPTAの集まりがあると勘違いして、 公文国際学園に来て教師に目撃させたというものである。 この事件を境に、岡澤代祐の母親と羽生の母親の仲は急速に冷え込んだが、当然である。 「自分は絶対に警察の捜査線上には上がらないはず」という羽生の母親の予定が、狂わされたのだから。
 ならば、岡澤代祐の母親は、どうして公文国際学園をアピールするようなアリバイ工作を選んだのか。 それは、「自分たちの息子が佐藤玲奈の死を知ったら、真っ先に母親に疑いの目を向ける」はずだから、 「無関係の人を殺人容疑で巻き込むのは良くない」と考えたのだろう。 無関係の人を巻き込む迷惑を心配するのなら、「その前に愛を試すのを止めろ」と思うのは、ぼくだけではあるまい。

 岡澤代祐の母親も、羽生の母親も、短大出で大卒の夫と結婚した教育熱心な母親ということで共通する。 羽生の母親は、「12歳の純愛が気に入らない」わけで、岡澤代祐の母親も、「12歳の息子の恋人」は面白くない。 仲の良い二人の母親の、長電話の最中に「だったら愛を試してみよう」という話が出て、 「不謹慎だけど、まさか本当に自殺はしないわよね」と。
 そこに、玲奈ちゃんのお母さんが登場する。玲奈ちゃんの両親は、確か中学時代の同級生だと玲奈ちゃんが言っていた。 金に魂を売った私立中学男子寮の母親二人が、中学時代の同級生と結婚した純愛を妬んで凶行という構図が見えてくる。 中学の修学旅行のようなノリの殺人事件である。もう一人登場する母親は、商社の2代目社長と結婚したんだっけ。

 岡澤代祐の母親が言うには、「私の方が代祐より先に佐藤玲奈ちゃんの死を知った」様子である。 「そんなはずはない」と思ったものの、佐藤玲奈の死を知った時の岡澤代祐は15歳。 母親は、息子の落ち込みを見るのが痛々しくて、黙っていた可能性はある。 「だったらその前に、そんな下らない計画に協力するなよ」と思うのも、ぼくだけではあるまい。
 さておき、少なくとも岡澤代祐の母親は殺人犯の名前を知りつつ黙っていたのだから犯人隠匿罪である。 法廷で、「息子の落ち込みを想像すると痛々しかったから、実行犯の名前を黙っていました」と主張したら、 確かにその言い訳は裁判長に通用しそうなのが怖い。 堂々と戦って勝てれば弁護人は精神鑑定を請求しないだろうし、真実は闇の中。不起訴。




□11 誰かの親が殺人犯

 だからこそ 1997年、佐藤玲奈の死亡が確認されてすぐ、警察は岡澤代祐の母親の事件当日のアリバイから推定して、 「佐藤玲奈殺害の実行犯は公文国際学園生の母親の誰か」と特定できた。 その警察の報告は、すぐに学校法人公文学園の理事会を混乱に陥れた。 「神奈川県知事には報告しない」方針を固めた公文国際学園は、殺人犯の校外追放作戦を開始した。
 だから、中学3年秋以降の岡澤代祐の心配は、問題の本質に切り込んでいたのだ。 「玲奈ちゃんが自殺したかもしれないという時に、 男子寮の親友たちに通学生の親友たちも退学になるなんて、縁起でもない。ますます玲奈ちゃんの安否が心配だ」と。 ところが、悪い偶然が重なったわけではない。悪い偶然は、因果関係の鎖で繋がっているのだ。

 1997年の7月頃−中学2年に進級した頃−までに知り合った岡澤代祐の親友のうち、 高等部に進学できたのは、実に亜友と羽生だけだった。 中学2年の初めは、岡澤代祐の親友たちはバスケ部員と対立していたが、 喧嘩したことで互いに理解が深まったようなところもあった。 そのバスケ部員の方からも3人が高等部に進学せず、岡澤代祐の周囲で中退者は10人を超えた。
 さて、この状況を心配した岡澤代祐はというと、マンガ「法律の抜け穴」で法律の勉強を始めた。 これ以上は自殺者を出さず、これ以上は退学者を出さないためである。 そして、そのぼくの法律知識は現在、佐藤玲奈殺人事件の捜査に使われているのだから論理は一貫している。 一方で実行犯の息子である羽生も、数学の道を捨てて法学部に行った。

 ここまで、特に触れていないと思うがエリート数学部員の岡澤代祐は、 「数学オリンピック日本代表になったら玲奈ちゃんとやり直す」と心に決めて数学部の道を歩んでいた。 ところが、佐藤玲奈の死を直感し、周囲の生徒が退学になったことで数学一本勝負の自信を失い、 マンガ「法律の抜け穴」を読みながら近い将来直面する殺人事件に備えていた。
 「人生何ごとも経験」という岡澤代祐の母親の殺人幇助動機からいえば、 岡澤代祐は「自分の親友の母親に最愛の恋人を殺されて事件は迷宮入り」という近代史的に貴重な経験をして、 公文国際学園も、「学校関係者間で殺人事件が起きた」という貴重な経験をして、羽生も貴重な経験をして、 しかし岡澤代祐以外は全員潰れてしまった。




□12 憶測が生んだ連鎖

 岡澤代祐は、近い将来、佐藤玲奈との交際をやり直そうとするかもしれない。 羽生の母親も岡澤代祐の母親も、数学オリンピックの日本代表を目指す岡澤代祐が佐藤玲奈のことなど忘れてしまって、 息子たち2人に何事もなく公文国際学園卒業に至ることを祈っていたはずである。 ところが高校1年の夏に、岡澤代祐は佐藤玲奈の死を知った。
 羽生の母親は、少なくとも2000年、息子たち2人が高校2年になった夏までは、 佐藤玲奈の死が公文国際学園の4期生の憶測を生んで起きた騒ぎなど、考えもしていなかったようである。 岡澤代祐が、商社の2代目社長の娘を追いかけてストーカーとして謹慎処分を受けた話を聞き、 羽生の母親がニンマリした理由は、こうして細部を追いかけてこそ良く分かる。

 岡澤代祐が、佐藤玲奈の死を公文国際学園の同級生に話さなかった理由は、説明できなかったから。 自分が落ち込んでいるのは、最愛の恋人が自殺したのだからそれで良い。 だが、親友の羽生が「俺のお袋が佐藤玲奈を殺したのかもしれない」と落ち込む理由は説明できない。 その羽生の落ち込みは、恋人を失った自分よりも激しいものに見えたのだ。
 本人たちが説明しない以上、同級生たちは推測するしかない。 真っ先に「岡澤は私以外の女の子のことを考えている!」と腹を立てた亜友が、真相解明に乗り出し、 岡澤代祐の浮気の証拠をつかんだと誤信して、「岡澤は私に隠れてこそこそ悪いことをしている」と騒ぎ始めた。 そしてそれがいつの間にか、「岡澤はストーカーだ」に変わってしまった。

 自分の母親の凶行を疑う羽生も、学校関係者の殺人の報告を受けた教師も、 「誰かが佐藤玲奈を殺した」事実を直視できない。 すると、岡澤代祐が落ち込んでいる理由は亜友に恋愛感情を拒否されたからだとする話を、信じてみたくなった。 それで最愛の恋人を失った岡澤代祐はストーカーだと糾弾され、公文国際学園でのエピソード記憶をほぼ完全に喪失した。
 このあたりで、「もしかして、岡澤君の最愛の恋人が自殺した」という噂が生まれた。 だが、その噂は2つの点で否定された。1つ目は、「当の岡澤代祐にその記憶がないこと」で、 2つ目は、「羽生まで落ち込んでいる理由を説明できない」ことだった。 そういう理由で、岡澤代祐と羽生との間に何が起きたのか、生徒たちは誰も説明できなかった。




□13 「神々の指紋」

 しかし、これだけ岡澤代祐の周囲で殺人事件が頻発しているのに、岡澤への事情聴取なしも不自然。 その件に関しては6で、「岡澤代祐が犯人ではない積極的なアリバイ」を述べた。 だが殺人事件は6に出てきた1件だけではない。 2010年の任意同行の前にも、どこかで1度くらい警察が岡澤に事情を聞くくらいの出来事が、あっても良かったのではないか。
 ふと思いついたことがあって、この現象を説明できた。 岡澤代祐を殺人の実行犯に仕立て上げたい羽生の母親は、凶行の現場に岡澤の持ち物を落としておいたのだろう。 精神的に追いつめられた羽生の母親は、重要な問題をうっかり見落としていたのだと思う。 警察が、凶行の現場の遺留品を鑑定すれば、「持ち主の体格は中学生くらい」と出てくるはずだ。

 指紋の形は変わらないが、佐藤玲奈殺人事件の頃に比べれば、岡澤代祐の手のひらは大きくなっている。 「手のひらの大きさは、実は足のサイズと同じ」という豆知識を警察は標準装備しているはずで、 ちょっと調べれば、「犯人の体格は岡澤代祐よりも小柄である」と結論できるはず。 絶対とは言い切れないが、統計的には犯人は岡澤代祐ではないだろうと。
 さらに、警察が岡澤代祐の指紋を採取して、「形は同じだが、大きさは実際よりやや小さい」となったら大変だ。 犯人は中学時代の岡澤代祐に恨みを持つ人物で、岡澤に容疑をなすりつけようとしていると分かる。 さらに難しいのが岡澤代祐の知能指数で、 「中学時代の自分に恨みを持つ人物の犯行」に見せかけて、実は岡澤が犯人の可能性もあるから。

 題名は、黙っていれば「そんな古代文明も存在したかもね」と夢見ることも許されるが、 トンデモ理論を持ち出して説明したせいで、 日本でのベストセラーにはなったが、各界から攻撃される理由を作ったグラハム・ハンコック氏の著書。 ありとあらゆる知識を網羅しておくことがいかに大切か、という話である。キジも鳴かねば撃たれまいと。
 まあ、しかし、「中学生の体は大きくなる」とか「手のひらと足の裏のサイズは同じ」とか、 殺人捜査に役立ちそうなあらゆる雑学的統計を集めている警察もご苦労である。 岡澤の雑学は、そんな警察の雑学を超えた訳か。 そんな下らない理由で犯人が逮捕されてゆくのを見ると、「完成された犯罪は芸術だ」とは、どうしても思えない。 完成された犯罪は、単なる雑学辞典であると。




□14 史上最悪の不祥事

 岡澤代祐は記憶喪失をしていたため、佐藤玲奈の死を思い出したのすら、2009年の年末。 しかし「犯人は内村陽子」という推理は2002年の夏から存在していた。 そして、その推理の存在を知った内村陽子が、次々と岡澤代祐と親しい後輩を殺していった。 なら、連続殺人の原因は岡澤代祐の単独行動とも言えるし、2002年に動かなかった警察のせいとも言える。
 確かに、2002年の4月には警察に相談を入れていたが、相手にされなかった。 しかし警察の情報処理能力を考えると、この際の相談者の岡澤代祐が、1997年1月14日の通報者とは気付いたはずだが。 すると警察は、何らかの事情でこの相談を踏みにじり、岡澤代祐からの情報提供を拒否した。 そしてその結果、さらに5人の尊い命が奪われたわけである。

 岡澤代祐の母親は、1997年1月の佐藤玲奈の自殺直後にはその死を知っていたと書いた。 事件発生を知りつつ告発しなかっただけでは「犯人隠匿罪」系の罪も成立しないとは思っている。 岡澤代祐の母親は、それ以降、公文国際学園の教師を異常に恐れるようになっていた。 佐藤玲奈の事件に関して、責任を感じていたからである。 だから、自らにも刑事責任が及ぶと考え告発しなかったというなら、それには納得できる。
 だが、内村陽子は2003年に1人目の公文国際学園8期生を手にかけ、 岡澤代祐に殺人容疑がかかったか確認するためだけに、その母親に電話をしている。 ところが内村陽子が新たに生徒を殺害したことなど想像もしていない岡澤代祐の母親は、 その電話を「岡澤代祐が今もって佐藤玲奈の死に落ち込んでいるかどうか心配して」の電話だと勘違いしている。 これは最悪のパターンである。

 さらに内村陽子が殺人を繰り返すたびに自分の息子である岡澤代祐は追いつめられてゆくが、 岡澤代祐の母親はそんなことは想像もしていない。 仮に岡澤代祐の母親が第2、第3の殺人を知っていれば、絶対に内村陽子を告発したはずである。 特に、2004年に起きた内村陽子の3男が被害者と見られる殺人事件に関しては、 警察が岡澤代祐の母親に事情聴取をしなかった理由が見つからない。
 自分の息子に次々と殺人容疑がかかってゆくリスクを思えば、自分にも非がある佐藤玲奈の自殺に関しても、 真相を警察に説明した可能性はある。 実を言うと2010年9月、警察に事情聴取された内村陽子は、岡澤代祐の母親に裏切られたのだと思い込み、 岡澤代祐の母親に抗議の電話をしている。ここで岡澤代祐の母親は、 自分の息子が殺人事件の解明に成功したことを知る。

 佐藤玲奈の自殺の全容解明に成功したのは、神奈川県警の依頼で協力した相模原市の情報提供を受けた岡澤代祐で、 これほど警察をバカにした事件も珍しい