消火器よさらば


 「学歴は人命よりも尊い」 −横須賀博先生の教え


−この頁の記述の多くは、普通に犯罪です。生徒は絶対に真似しないように。−



 速報! 「公文学園のハニートラップ」

 コラム 「教育ママは反省しろ」
 コラム 「岡澤代祐 vs 公文 最終決戦」



 ・公文国際学園物語


 1980年代、公文公は、創価学会と一緒になって、
「公文式学習法が日本の未来を変える」と信じて、莫大な財産を築いた

 幼稚園児に、中学数学の「方程式」を学習させ、
小学生に、高校数学の「微積分」や大学数学の「微分幾何」を学習させた大熱狂。

 しかし、旧文部省は公文式学習に否定的だった。
「文部省は教育を分かっていない」と腹を立てた公文公は、公文国際学園を作った。



 コラム くもん全国進度上位者のつどい



 ところが、1993年に公文国際学園が開校すると、
それまでの公文式学習法はデタラメで、生徒の実力に繋がっていないと判明

 それもそのはず、学習者の実態を見れば分かる。
公文公の方針に従って、微積分は解答丸写しに丸暗記、これは数学の実力でない。

 別の視点で、1期生は丸暗記で育てられた公文生。
世間の人を驚かせた大学合格実績も、「暗記の達人」としては相応のものなのだ。



 実際、1980年代から、公文には賛否両論があった。
当時の教育ジャーナリスト保坂展人議員も、「危ない公文式早期教育」を書いた

 幼いうちから、これだけの暗記を課していれば、
成績が良くなったように見えるのは錯覚で、正常に成長しないのではないかという話。

 NEETと呼ばれる発達障害との関連も疑わしいが、
2006年当時に疑問に思った岡澤が調べても、早期教育と発達障害の関係は薄い。



 A 賛否両論あったが、公文式幼児教育は特に有害なものではなかった。

 B 公文教育研究会は、政治献金で、都合の悪い事実を揉み消した




 ここで岡澤の思考はAでなく、Bに向かった。
1980年代の公文式教育が子どもに無害だなんて、「ありえない」と思った

 それこそ14期生以降は、学園設立以後の生まれだが、
学園設立前の「宗教的熱狂」を知る5期生あたりまでなら、共感する人もいる。

 1980年代の公文式学習で育てられた子というのは、
1995年に話題になった、オウム真理教の修行施設で育った子と、大差ない。



 そんな喩え話を書いたけど、
17期生以降に至っては、オウム真理教の事件以降の生まれなんだよな







 ・公文国際学園物語 其の2


 それこそ、今の生徒には想像できないだろうが、
5期生の達弥など、数学V教材、国語P教材、英語O教材、仏語も独語も制覇

 達弥を引き合いに出したのは、岡澤の親友という理由と、
加えて、1993年の公文公著「公文式算数のひみつ」に写真付きで載る有名人だから。

 この本は、例えば厚木市立図書館にも置いてある。
他にも数学部1期生の大河原先輩も写真付きで、山本先輩(先生?)も文章が掲載。



 岡澤は、この人たちの「その後」を見ている。
東大卒の大河原&山本先輩はさておき、達弥なんかは典型的な公文式被害者

 達弥と同じ5教科修了者は、4期生で3人思いつくが、
うち2人は、公文式学習疲れなのか成績もぱっとせず、特筆すべき話は思いつかない。

 いちおう、公文式学習成功者の共通点は、
「自分が好きな1教科を極めたタイプ」が多いが、単なるオタクと違うかと言われると・・・



 すると、これはそのまま現代日本の縮図だが、
「数学教育と、数学オタクの養成は違うでしょう?」という、冷静な突っ込みである

 ただの数学修行僧なら、それでも良いが、
人付き合いが苦手で、労働意欲がないとなると、他の人たちの生活を圧迫するのである。

 すると、発達障害との関連が疑わしいが、
2006年当時に疑問に思った岡澤が調べたら、早期教育と発達障害の関係は薄い。



 A 賛否両論あったが、公文式幼児教育は特に有害なものではなかった。

 B 公文教育研究会は、政治献金で、都合の悪い事実を揉み消した




 −冷静に考えてBだろうな− というわけである。



 実は、この噂は1993年当時から存在し、
「公文教育研究会は過去の教育方針を謝罪すべきだ」とか、様々な議論があった

 いや、何しろ Windows95 の発売前でね、
ネットも携帯も普及していないし、謝罪派が 2ch で公文を告発するなど有り得なかった。

 この噂は、公文関係者には広まって、
高校3年時の岡澤の周囲にいた元公文式優秀児たちも、この噂を「知っている」と言った。







 ・公文国際数学部殺人事件(*)


 「でも、犠牲者(=死者)はいないでしょ」という話だが、
1997年に、実際に殺人事件が起きたから、岡澤は精神的に追い込まれていった

 1990年代にも、警察より先に発言した人がいた。
殺人犯を、オウム真理教だと断定して発言していたのは、小林よしのりぐらいだろう。

 同氏は、漫画中で殺人犯をオウムと断定して発言し、
岡澤は殺人犯を web 上に堂々と書き、これは、サブカルチャーだから許される話。



 それで、公文式と創価学会の関連まで書き込まれ、
警察も、そう易々と公文の殺人に踏み込めば、オウムの二の舞になりかねない

 確か、小林氏も暗殺未遂事件に巻き込まれている。
岡澤の言動も小林よしのり級に過激だから、警察に心配されるというわけだろう。

 だから、岡澤の言動には前例があるわけである。
現代のハンス=ショルは、サブカルチャーに紛れてビラを配るというだけである。





 それで、殺人の動機というのが恐ろしく、
「13歳のくせに純愛なんて許せない」という、もはや病的な理由

 さすが、公文国際学園の保護者は頭が良く、
普通の主婦が 1997.1.18. に殺人を犯して、13年半も逃げ回っているだけだ。

 4期、6期、9期の内村3兄弟の母親。
外科医の妻が、長男の親友の岡澤代祐の恋人に、致死量の睡眠薬を与えた。



 1999年まで、元恋人の死は岡澤に知らされず、
岡澤は、「数学オリンピック日本代表になったら、玲奈ちゃんとやり直す!」

 恋人の死を知った岡澤は、自爆テロを恐れず、
「たとえ刺し違えてでも、あの悪徳宗教団体(=公文教育研究会)を潰す」と激怒、

 2度の記憶喪失を経ても、その勢いは衰えず、
最終的に2007年1月の web 告発に至ったわけだが、その後もいろいろあって・・・・・・



 今の公文国際学園は、倒産寸前の状況と思うが、
それは今に始まったことじゃなく、今まで倒産のタイミングがなかっただけだ

 実際、開校2年目には倒産が検討されたらしいが、
「倒産させるくらいなら、障碍児教育をしてみたい」と、石曾根校長が就任したらしい。

 その石曾根先生の手で、「普通の学校」へと再生し、
石曾根校長を知らない9期生以降は、公文国際学園の宗教色など知る由もなかろう。


(*)・・・・・詳しく知りたければ。4403rena.html





 ・公文毅記念講堂


 公文教育研究会の元社長。
1993年に、公文式優秀児のデタラメが判明してパニックになった時の社長である

 優秀児の、真の実力を試す抜き打ちテスト。
その結果、「岡澤代祐という小学4年生は、かなりの実力があるな」と見つけられる皮肉。

 その結果、公文の幹部に顔見知りができ、
公文国際学園入学時に、岡澤は毅社長(当時の理事長)からもメッセージを受け取った。



 微分幾何を教えてくれた川崎さんとか、
Y事務局長とか、岡澤代祐の名前は公文の幹部とか幹部候補生に、知られていた

 その人たちが、謝罪派と謝罪反対派に別れ、
岡澤を応援してくれた人たちが喧嘩して権力闘争に終わるという、醜い争いを目にした。

 1995年、岡澤の小脳出血の年。
岡澤の回復を祝ってくれた人同士が喧嘩して、負けた人は容赦なく左遷されていった。



 そんな公文国際学園に、最後の一撃、
新校舎 & 公文毅記念講堂の建設資金が、ゼネコン経由で政治家に献金疑惑

 この資金は、公文国際奨学財団で、
代表者は公文寛会長が務める公文系の団体だが、文科省の管轄だから公金とも言える。

 公文毅社長とは、兄弟の関係で、
「親父に尽くして他界した兄を悼むための講堂を」弟の財団が支出するのが、公金ねえ。



 石黒前校長は、元農林省の事務官で、
学園と政治家との窓口役をすることを条件に、校長に推された可能性もある

 2007年、農水相の「政治とカネ」。
民主党による誤爆の可能性も否定はしないが、この website と無関係とは思っていない。

 岡澤はこれを誤爆だと考えたので、
自分の推理する事件の真相を、2007.9.4. に報告したら、8日後に首相が退陣した流れ。



 この頃の理事長は、兄嫁の倫子夫人。
義姉を信じて新校舎の建設資金を出したら、岡澤の web 告発に引っぱたかれた


 「岡澤代祐って、兄貴が可愛がっていた男の子じゃないか。

     義姉さんの学校は、いったいどんな経営をしているんだ?」



大雑把に、そんなところじゃないかなあ。







 ・壮絶な玉突き事故


 その書類は、2005年までさかのぼり、
「岡沢代祐君と公文国際学園とのこれまでの経緯」と題された、報告書である

 この報告書が、神奈川県に提出されたせいで、
上記の「公文国際学園数学部殺人事件」の再捜査が始まってしまったという展開に。

 岡澤と、亜友の名前を見た警察は、
亜友・母なら、佐藤玲奈を殺害する動機があるということで、再捜査が始まった。



 問題の本質は、徹頭徹尾、玲奈ちゃんの死。
そして誰も、岡澤の最愛の恋人の死を想定できなかったから起きた玉突き事故

 もし、遠山先生がそれを知っていれば、
ストーカー騒ぎの原因が岡澤にあるとは考えないし、その前に亜友を止めただろう。

 横須賀先生は、「それ」を知っていたわけで、
教師として軽率な発言をして石曾根校長の怒りに触れた、だから、責任を負うべき人。



 遠山先生は、玲奈ちゃんの死など想定せず、
あの岡澤が、愛娘のように可愛い亜友を苦しめたと思いこんで、糾弾しただけ

 亜友だって、玲奈ちゃんの死は想定外で、
自分が責め立てた岡澤の恋人が、2人が知り合う前に自殺していたと知ったのは激震。

 4期の同級生も、高校1年時の岡澤が、
単に自分勝手に集団行動を乱していたのではなく、そんな重い過去の存在を知り激震。



 すると、この騒ぎの本質は壮絶な思い違い。
まあ、岡澤の身体障碍との関連までは思い至っても、介護した恋人の自殺までは・・・

 説明しなかった岡澤にも、正当な理由があり、
すると彼女の自殺を知りつつ、岡澤をストーカーと決めつけた横須賀先生の人格的問題。

 進路指導とは、次元の違う問題である。
彼女の名誉を守るために闘って死ぬのを恐れない情動を、理解できないのは人格的問題。



 具体的な横須賀先生の発言としては、
「そんな女の子のことなんか忘れて、英単語の1つでも覚えよう」は、ない。

 同級の受験生に配慮した岡澤は、
教室ではなるべく険悪なムードは慎み、職員室やら会議室で大喧嘩をしていた。



 岡澤の方が、死を恐れていない以上、
横須賀先生の方も、岡澤を自殺に追い込むことを覚悟していたらしい時期もあった

 その結末が、十分に予想できた以上、
上記の発言をした横須賀先生を、以後絶対に岡澤には接触させてはいけなかったと思う。

 普通なら、岡澤の暴力事件に発展する。
だが岡澤は高校3年の秋、暴力を用いずに横須賀先生を完全に追いつめる終幕を飾る。



 この時点で学園が謝罪していれば、
亜友や4期同級生を含め、遠山先生に後輩たちにと、玉突き事故には至らなかった

 だが、この報告を受けた小山校長は、
さんざん岡澤の説得を試みたが岡澤が拒否したため、卒業証書と引き替えに無期停学に。

 学園が謝罪してどうなる問題でもないが、
国内外を含めて再発防止策としては、まず公文国際学園を徹底的に叩くことである。


 「それでよく東大に合格したね」
とは、良く言われる。







・化学の菓子折り


 公文国際学園の騒ぎの、究極の原因は、
2004.9.8. の鎌倉プリンスで、岡澤が石黒校長の心に風穴を開けたこと

 鎌倉プリンスを指定したのは、
弁護士のアドバイスで、ホテルの喫茶店で、常務・校長・副校長と会談したのだ。



 石黒校長が、京大卒の農林技官だったという話。
そんなことは最初から知っていたが、あえて石黒校長の口から何度も聞いた

 要するに、東京大学の学閥の悪口なのだが、
現役東大生の岡澤が、東大閥の悪口を何度も聞いてやるのは、接待の一種である。

 石黒校長は、東大紛争で入試中止の受験生。
東大への悪口には事欠かないらしく、話すたびに熱い感情がひしひし伝わってきた。

 岡澤の初回の手土産は、東京大学饅頭だった。
真の狙いは、饅頭をきっかけに、石黒校長の口から東大の悪口を引き出すことにある。

 東大閥の、最も効率的な裏利用法である。





 そんな折に、降って湧いた災難が訪れる。
石黒校長相手のつもりで、化学の教官に菓子折を持っていったら、怒られた

 教務課に呼び出され、単位ももらえない。
「追試に落ちれば留年」という危機的状況を、自ら作りだしてしまった夏の話である。



 逆転の発想に強い岡澤は、考える。
9.8.の鎌倉プリンスの会談で、石黒校長を喜ばせる絶好の話題作りに成功したと

 石黒校長は、長く化学の先生だった。
生涯の敵とも言えるあの東大生が、化学の単位を落として留年の危機に苦しんでいる。

 「やっぱり石黒先生には敵わない」
「高校時代、先生の授業をしっかり聞いておけば大学で苦労はしなかった」と畳みかける。

 岡澤すら驚くほど、効果絶大だった。
それまで、常務に遠慮して言葉少なだった石黒校長が、一気に饒舌になったのだから。

 東大の化学教授の正義感が、歴史を変えた瞬間(*)





 さすがに、常務に注意されたようだ。
「元生徒の前で、あんな露骨な反応をしてはいけない」と、まあ、当然の話だが

 石黒先生は、岡澤に借りを作ってしまった。
こうして、岡澤の接待の目的は無事に達成されて、石黒校長直筆の念書を手に入れた。

 念書というより、ただのメモ書きなのだが、
それでも内容証明郵便への返事であり、常務に怒られて、初めて岡澤の真意に気付く。

 再び、「東大生にしてやられた!」である。
石黒校長の反東大感情が増幅されて、岡澤に対する憎悪に向けられるわけである。



 この反応も、もちろん織り込み済みである。
これで、石黒校長と遠山副校長が、そろってアンチ岡澤で団結したわけだ

 「精神病のくせに東大生」などと言われたら、
在校生たちの嫉妬心だって刺激され、岡澤に対する興味や反感を抱くようになる。

 すると、2chでの書き込みを無視できなくなる。
「名前を売るためにわざと精神病の振りをしている」、岡澤の期待通りの展開になる。

 2週間ほどで戦略的撤退し、半年後に真の告発を実行。
台風の目から外側にビラを撒けば、風に乗って知る必要のない人にまで話が伝わる。

 嫉妬心は、ひねくれた力。転向力


(*)・・・・・・織田先生も、「正当な」理由で岡澤を怒鳴りつけた初めての大人。





 ・岡澤の記憶喪失


 岡澤の恋人の自殺に気付かなかった4期生。
でも、高校2年7月の岡澤の記憶喪失に、気付いていた同級生も多分いないだろう

 「ええええ〜!」という話だろうが、
現実問題として岡澤にとっては人生2回目の経験だったから、本人はさほど慌てていない。

 1度目は、厚木第二小学校時代の話。
その第1発見者が玲奈ちゃんで、何とか記憶喪失を治そうと、付きっきりで介護したのだ。



 それで、玲奈ちゃんのアドバイスもあり、
高校1年末の春分、2000.3.20. 以降、岡澤の日記帳は今もって続いているのである

 オーストラリアの修学旅行の最中にも、
日記をつけ続けていた岡澤に、M田君が「きっと役に立つよ」と言ってくれた記憶がある。

 いや、実際に役に立ったのだ。
修学旅行の3ヶ月ほど前は、自分が何をしてきたのか日記以外に記憶がなかったくらい。



 それで夏休み中、日記やら手紙やら、
様々な文章で自分の生活史を繋ぎ合わせて、夏休み明けは何食わぬ顔で登校した

 あえて、玲奈ちゃんの自殺は残さず、
その結果として、2000.7.16. 頃を最後に、2009.12.10. 頃まで、彼女の自殺の記憶がない。

 再度教わったのでなく、記憶が戻った。
記憶が戻ってゆく様は、メールやら手紙で何人かの人に実況中継してしまった・・・・・・。



 記憶が戻り始めたのは、2006.7.23.
そこから約3年をかけて、1995年の1度目に記憶喪失した部分まで、回復したのだ

 すると、岡澤本人も含めた4期生は、
高校2年の夏以降の約10年間、岡澤の昔の恋人の自殺を、知りようがなかったのである。

 ただし、思いがけない情報伝達網。
唯一、岡澤の昔の恋人の自殺を知っていた警察が、2005年、亜友・母に喋ってしまった。



 遠山先生の報告書を見た警察は、
略奪婚目当てで、亜友・母が玲奈ちゃんを殺したと疑って、再捜査を始めたのだ

 さらに長く伸びた、玉突き事故。







 ・炎上する国会議事堂


 岡澤の暴走を、止めるべき亜友。
だが警察に聞いた岡澤の昔の恋人の自殺が、ショックでたまらない亜友だった

 確かに、警察の話には覚えがあった。
警察が説明した物語は、岡澤が高校2年の文化祭で放映を予定した映画と同じだった。

 岡澤は、玲奈ちゃんの思い出を映画にして、
表現祭で放映しようと、岡澤の昔話を知らない亜友に、知らん顔でヒロインを頼んだ。



 2006年、web 告発宣言をする岡澤。
この web 告発宣言を心配した友人一同が、亜友に連絡すると、もう大変な状況

 「その前に、岡澤を止めなきゃ!」
そう考えて亜友と押し問答をしていた 2007.1.18. 頃、岡澤は web 告発を断行した。

 予想は、していた内容だった。
岡澤の友人の公文式優秀児たちは、公文教育研究会の悪い噂を岡澤と共有していた。



 岡澤の、命知らずの web 告発。
web 告発を見た議員秘書氏から、「逮捕より、身辺の警護に気をつけて下さい」

 そして、2007.3.5. に国会炎上。
誤爆でないとすれば、元農林技官の石黒先生の校舎建設資金がらみの裏金がらみか。

 政治家は、律儀に法律を守っている
だから、行政機関の公表前には、絶対に民間人の名前を議会に持ち出すことはない。


 すると、紙一重の戦いになるわけで、
議員に近い人の目に、敵陣営の不祥事は大罪だが、一般の目に揚げ足の取り合い

 「もっと大きな夢を語れよ」と言いたいが、
「自分の友達を全員誕生日に呼びたい」小学生の理想は、既に反証済みである。





 話を戻すと、2007年当時の議員諸氏は、
「岡澤さん、『国会炎上は、ぼくの web 告発が原因かも』と青ざめている頃」かと

 ところが、議員諸氏の想像を超え、
2007年8月に web 告発に加筆を始めた岡澤は、2007.9.4. に第2の報告書を送ってきた。

 これまた、絶妙な内容であるが、
「こいつ、本当に単なる東京大学理学部数学科の学生か?」との憶測を呼んだ


 それで、調べさせると、
「13歳の時に最愛の恋人を殺害され、東大在学中に探偵事務所を名乗り始める」

 その報告書を見た政治家は、
「疑って申し訳ない。この人の探偵事務所は本物だ」という結末になった。



 政治家は、心得ている。
「黒いものを白く見せることは難しいが、白いものを黒く見せる政治技術は易しい」

 つまり、この時点で岡澤の名を出すと、
民主主義の名の下に、岡澤が佐藤玲奈殺人犯であるかのような流れにされてしまう。

 特に、小沢一郎は心得ているはず。
師である田中角栄を、米国の仕掛けた罠で失い、金丸信をも、よほど国民に嫌われた。


 そうか、三木おろしが始まったのは、
「白いものを黒く見せる政治技術」を多用して、ロッキード事件に当たったから・・・



 それで、殺人捜査の時効を撤廃して、
「いくら時間をかけてもいい、佐藤玲奈殺人犯を捕まえろ」という流れになったと

 ただし、時の岡澤は記憶喪失中なので、
「どうしてシーンとしちゃったのかな」と思いつつも、良く分からないまま2008年も暮れた。







 ・公文国際野球拳


 2008年、岡澤は、政界の闇の論文をばらまいた。
執筆者を亜友・父の名前に書き換え、四方八方に送信する。

 政治家の実名がバリバリに入った論文。
亜友・父の会社はもちろん、神奈川新聞社にも送りつける。

 当時の岡澤は、「ここまで解明すれば十分だろう」と思っていた。



 グー  : 公文国際学園は、亜友・父に訴えられれば元教師らが逮捕される。

 チョキ : 岡澤は、政治家や公文国際学園に訴えられれば人生を踏み外す。

 パー  : 亜友・父は、娘を手放すのは嫌だが、娘には頭が上がらない。



 取材に対し真の執筆者を答えず、怯えた表情の亜友・父。
「真の執筆者は、商社社長を脅迫した暴力団関係者じゃないか?」

 娘の彼氏が、自分の名前を勝手に使い、
政治家の実名がバリバリに入った論文を、新聞社に送りつけた。



 どこまでやれば終わりになるのか知りたかったのだが、
まさか 1997.1.18. に玲奈ちゃんが自殺し、亜友がそれを知ったとは思わない

 ちなみに、亜友・父の会社に行ったのが、この6月。
小川三四郎探偵事務所の暴挙と、落ち込む娘と、社会正義と、何を一番大事にしたのか。







・白いものを黒く見せる


 食堂の無銭飲食監視カメラ騒ぎ(*1)
同窓会懇親会の岡澤監視用カメラが、無銭飲食を映したに一票。

 何故か2009年に限って届いた招待状。
リースして設置した監視カメラが、岡澤を監視していても不思議ない。

 偶然映った無銭飲食も災難である。


 同窓会総会は、6月20日土曜日。
前日は重要三法案の採決に、小沢氏秘書の初公判という日程だ

 それで首相は、責任者代表(*2)を更迭?
生徒の無銭飲食が、選挙を目前に疑惑を大きくした(*3)ようだ。

 微罪と書いたが、微罪でもない。
刑法上の罪名としては、演説なりビラ配りなどするのは脅迫とも言えるし、恐喝も成立?


 監視カメラ騒ぎに、ぞっとした記憶もある。





 先に書いた話を思い出す。
これこそ、まさに「白いものを黒く見せる政治技術」という奴じゃない?

 殺人事件の解明という全体の中では些細だが、
同窓会の会場でOBや在校生を煽動する部分だけ切り取られたら、岡澤が有罪である。



 さて、2009年の元旦に何があったか。
そう言われると、この元旦に政治秘書の匂いがする年賀状を盗難された

 犯人は、後日年賀を返してくれたが、
「武蔵野法律事務所からの年賀が元旦に届かないのはおかしい」という理由で判明。

 安易に、新聞記者か誰かかと思っていたが、
今の話からすると、岡澤の揚げ足を取ろうとした、どこかの党員の犯行かと



 ああ、それで責任者代表更迭か、納得。
あれから1年半も経って納得したが、するとこの1年半、危ない橋を渡りすぎ

 刑務所の、塀の上を走るレースだ。
岡澤が塀の内側に落ちるのを、心待ちにしている人が、これだけたくさんいたわけか。

 だが、よほど器用だったと言うべきか、
「黒いものを白く見せる心理技術」を多用して、2010年は危ない橋を渡りすぎた。





 だが、冷静に反論させてもらうと、
学校法人としての資格を持たない公文学園の、授業料徴収は、官民一体の詐欺

 岡澤は、この詐欺を告発しただけ。
その岡澤を詐欺の主犯に仕立て上げるのは、たとえ党員が暴走しても、無理なのでは?

 それと、警察官僚の大失態なのだが、
岡澤代祐を完全な単独犯で、特に亜友とはもう切れていると考えるのは大きな誤りだ。

 亜友たちは、不作為の片面的共同正犯。
犯行への協力ではなく、最初から逮捕後の支援を目的にして行動しているようだから。



(*1)・・・・・・3101cafeteria.html
(*2)・・・・・・公文国際学園の選挙区は、元秘書が守っています。
(*3)・・・・・・常識が通用しない数学者と、東大法学部の因縁の対立が再び。
(*4)・・・・・・3102arrest.html







・自死の記憶が戻る


 2009年も11月の下旬の頃。
本厚木の STIR から図書館に行こうとして、「たまにはクラシックでも聴くか」

 要するに、ウェブ告発に飽きて、
今日は図書館ではなく、CDを売っているミロードに行ってみようと、急に振り返る。


 すると、真後ろに女の子がいて、
ぼくと目が合うなり「お久しぶりです」と言うのだが、ぼくは通り過ぎてしまう

 ちょうど、コンビニの出口で、
「コンビニから出てきた客とすれ違っただけかな」と、考えるのが自然なのである。

 ぼくは、急に後ろを向いたのだ。
数秒前までぼくがいたはずの空間に、知り合いの女の子がいるのは妙だ


 でも、目許と口許に覚えがある。
ぼくに敬語で話しかける小学校の同級生とすると、智美さん・・・・・・?

 でも、智美さんと親しかった記憶がない。
ただ6年4組最後の父母会で、智美さんの母親に泣きながら感謝された記憶・・・


 「あんなに一生懸命、算数を教えてもらって」


 ・・・・・・。そうだ、思い出した。
6年4組の時にも、ぼくが記憶喪失したと玲奈ちゃんに騒がれた

 確か、玲奈ちゃんと2人で智美さんに算数を・・・



 そう考え始めたところ、
6年4組=11歳の時に喪失した記憶が、14年の歳月を経てよみがえる

 ぼくは、この喜びを玲奈ちゃんに伝えたく、
智美さんに宛てて、短い手紙と、追って長い手紙を書き送った12月初め。


 それで、現在の玲奈ちゃんを予想するが、
「あんなことがあって、無事に大人になれたかな」と考えて、アウト

 「まさか、自殺したんじゃ」で始まり、
2週間ほどかけて、玲奈ちゃんの自死は記憶として「確信」に変わる。



 当時を復元するまでに、さらに約1年・・・。







・噂が公文学園OBに


 突発的な思いつきだが、
公文国際学園の同級生との間に、何らかの取っ掛かりが欲しくて考える

 話が早い人たち(非公文生)がいて、
思いがけない話の展開だったので、ぼくの方から玲奈ちゃんの自死を話した。


 後日、Yahoo! の「公文国際 2ch」検索で、
「8年間誰にも言えなかったことを吐き出せさて欲しい」というスレが見つかる

 過去ログ倉庫の中身は、岡澤は見られない。
だが、公文国際には小学校はないというレスだけは、検索結果の中に表示されている。

 他にも見られないか、検索方法を変えてみると、
どうやら、苛めを傍観していて、『俺』と『アイツ』は挨拶する程度の関係だった様子。

 2010.2.28. という日付を8年戻すと、4期生卒業式。
岡澤と亜友の小学校並みの関係とストーカー騒ぎに対する、同級生の述懐に聞こえるが。


 その時は思いつかなかったのだが、
ぼくが話した玲奈ちゃんの自死が、様々な配慮で公文学園の同級生に伝わったと

 ぼく自身に、想定外の展開で、
既にこの頃には、玲奈ちゃんの自死を無関係な人に喋ったことを、少し後悔していた。



 というのも、その話とは関係なく、
2010.2.14. に、ぼくは「ブラックオクトウバー」という、ノベルゲームを入手した

 内容が、公文学園の実話に酷似していて、
3月にはシナリオを詳細まで分析して、弁護士に相談しに行く話にまで展開していた。

 無関係な人にまで、玲奈ちゃんの自死を話し、
この忙しい時期に話を大きくしすぎたことを後悔していた、というわけである。


 ところが、最初にぼくが予想した通り、
「ブラックオクトウバー」の制作には、公文学園の同級生が随分肩入れしていた

 彼らは、玲奈ちゃん殺害を知っていた。
だから、あのシナリオになったが、玲奈ちゃんがぼくの最愛の恋人とは知らなかった

 ただの同級生と思いこんでいたので、
気にせず、「玲奈ちゃん殺害の謎を解け」のようなゲームを制作して、無料配布していた。


 すると、先のルートで真実が流れてくる。
自分たちが作ったゲームの主題は、「岡澤の最愛の恋人は誰に殺されたか」だ

 いくら、知らなかったとはいえ、
友人として人として、絶対に作ってはいけないゲームを作ったことを後悔する。

 「岡澤に、合わせる顔がない」
ゲームを読み解いた岡澤は、殺人犯の名前を知るが、友人たちとは連絡が取れない。


 友人たちの後悔はさておき、
殺人犯の名前を教えてくれたゲーム制作の黒幕には、感謝しなくてはなるまい

 亜友・父である。







・初めての任意同行


 初めての任意同行を受けたが、
刑事訴訟法を理解するための、最も手っ取り早い学習法だったかもしれない

 1日に2回も任意同行を受けた。
容疑は詐欺だと思うのだが、おそらくは余罪の追及の方が目当てだったようである。

 職務質問と荷物検査もされたが、
16歳で亜友を怒らせたときに、既に職質と荷物検査の経験はあるので、二度目だ。



 今回の、重要な衝撃の初体験。
手荷物検査で出てきた未使用の催涙スプレーは、「必要なし」として『没収』された

 交通違反での科料も罰金もなく、
人生初の刑事罰が、26歳での『没収』というのは、素敵に痛々しい初体験である。





 詐欺未遂での立件は、無理だと思う。
だって、15'000円は既に警察の指導ではなく返したし、借りただけだから

 使い道も、正直に申告して借りた。
問題は自称詐欺師の習慣で、愉快犯的な余計な嘘で話を膨らませすぎただけなのだ。



 警察の目的は、余罪の追及にあった。
最初から事件性も低く、事件だとしても被害額が15'000円で、岡澤は借りただけ

 その後2週間の、岡澤の住所は絶対確実。
返すかどうか見張っていれば良いものを、わざわざ任意同行したのは、岡澤イジメだ。



 平然と、いい加減な返答をする岡澤だが、
警察官の誘導尋問はそれなりに回避しながら、疑いは晴らして、問題なく釈放

 決して有罪だったとは思わないのだが、
その日のうちに釈放された点に関しては、「比例の原則」に助けられた気がしなくもない。

 5.26. に逮捕の予行演習をしたおかげで、
警察に見られたくないものは、鞄の外に保管するか、処分しておいた岡澤の勝ちである。





 警察は、かなり姑息な手を使ってきた。
手荷物検査のドサクサで、借金の証文を抜き取って、岡澤には返さなかったのだ

 すぐに警察の意図に気がついた岡澤。
「証文が無くなったことに気付かない」=「最初から金を返す気がなかった」から。

 案の定、借金の証文は先方が持っていた。
「岡澤を罠にはめようだなんて、100年早いよ」と言いたくなるような姑息な手口だった。



 「黒いものを白く見せる技術」
そして岡澤は、この任意同行で警察情報をひとつ手に入れる

 警察は、岡澤の指紋を欲しがっている。
つまり、玲奈ちゃんは殺害された可能性があるということに。

 ここで、「ブラックオクトウバー」に繋がる。



(*)・・・・・・警察と岡澤の衝突。ver.2  070303sayonara.html







・一寸先は闇


 2010年、民主党の迷走というイメージだが、
たぶん政権にとって、「岡澤の次の一手の読み違い」続きだったのだと思う

 訴訟終盤のたび、有印私文書偽造疑惑。
疑惑そのものは1つだが、ぼくの方で2回の訴訟を起こしたから、2回続いた。



 ぼくの狙いは、「公文国際野球拳」の、
「岡澤−亜友・父−公文国際学園」の三権分立を解消しようとしただけ

 現実の三権は癒着しあっているが、
癒着どころか反発しあっているこの三権の行く末は、政界より見通しが悪い。


 「玲奈ちゃん殺害の真相を明かせば三権分立構造が解消する!」


 という予測を立てたぼくは、
あえて公文国際学園に少額訴訟を起こして、この三権分立を崩した

 もう少し確かな証拠を使えば良いが、
三権分立構造を崩す際のコツは、「勝ちすぎないこと」に尽きるのである。

 それで、先方の反応を見つつ、
せっかくの法廷だから、「佐藤玲奈殺人事件」の準備書面を陳述した



 その間に、少し逃げたくなって、
小笠原で珈琲農場を見学したり、東大病院で宗教の匂いを嗅いだりした

 珈琲農場見学は、趣味の範囲だが、
東大病院見学は、数式と睨めっこしていた以外は、たぶん危ない仕事の部類か。

 あっさり書いてはみたが、
この物語の展開速度は速すぎるので、真似しようとは思わないで下さい


 歴代首相には迷惑かけました。







・犯人逮捕と解散命令


 2011年のこれまでの流れ。
と言っても、これを書いている今日が一年の18日目なのだから先が長い

 たぶん、警察が動き出した。
足の早い話ばかりだろうが、さすがに始まって18日ではまだ種明かしはできない。


 足の早い話 = 微罪 (すぐに時効完成)









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小川三四郎探偵事務所
代表取締役 岡澤代祐
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